33歳母「自傷、DV、離婚」経てやっと得た幸せ 壮絶すぎる人生「今の自分は子どもがすべて」
三田さんが幼い頃、父親が建築関係の会社を設立した。
「会社は小さいけど一応、社長令嬢みたいな感じだったんです。でも長続きしなかったですね。6歳で父親が亡くなりました」
父親はある日から頭痛に悩むようになった。だが、病院に通うのを嫌う人だった。
「ほっておいたらそのうち治る」
と言っていたが痛みは治まらず、逆に手が震えるなど障害が出るようになった。
ゴールデンウイークにやっと病院に行くと、脳に腫瘍が3つ見つかった。すでに手の施しようがない状態で、5月末には亡くなってしまった。
「私は察しの良いタイプだったので親類縁者が礼服で慌ただしくしているのを見て『あ、お父さんが死んだんだな』と気づきました。早くに亡くしたので父の記憶ってほとんどないんですよね。私が何をしても怒らない優しいお父さんだったことだけは覚えています」
会社は母親が引き継いだものの、父親の片腕だった人が裏切り結局倒産してしまった。
代わりに母親が経理関係の仕事に就いて収入を得ることになった。
父方の祖父母と同居していたこと、生命保険と遺族年金が入ったこともあり、赤貧状態にはならなかった。
ついたのはひどいあだ名
三田さんも母子家庭に少し寂しさは感じつつも、無事に私立の小学校に通っていた。
「3年生になって少し太ってしまいました。それが原因でイジメられるようになりました。『豚』とか『家畜』とかひどいあだ名で呼ばれました」
5年生になると、
・掃除ロッカーやゴミ箱に押し込められる
・モップで殴られる
・机に「死ね」と彫られる
などイジメはエスカレートした。男子からも女子からもいじめられた。
学校の先生に相談すると、
「いじめられる側にも問題はあるでしょう?」
と面倒くさそうに言われた。それ以上、相談する気はなくなってしまった。
家庭内も複雑な状況になっていた。
母親はよく1人で飲んで遅くに帰って来た。三田さんは、
「母も寂しいんだから、それくらいは仕方がないな」
と同情的だったが、父方の祖母はそんな母親を許せなかった。母親がいない間ずっと、母親の悪口を言い続けていた。
「祖母の母親に対する悪口をずっと聞いていました。家族でも陰で悪口言うんだなって、信頼できなくなりました。だから、いじめられていることも相談できませんでした」
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