日本人は、なぜ外国人の「隣」に座らないのか それは人種差別というほどでもないが

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せっかく笑顔を引き出したのだが、すぐに目的地に着いてしまった。私は立ち上がり、ドアに向かって歩きながら最後に振り返ると、少女は私を見つめていた。そして小さく手を振り「バイバイ」と言った。ついさっき怖いと叫んだ同じ相手に向けて、今度は明るい表情だ。手を振り返しながら母親のほうを見ると、先ほどと同じ優しい笑顔で、今度は感謝の気持ちを示してくれていた。そう感じたのは、私も同じようにこの母娘に対する感謝で満ちていたからだ。

日本の空席問題はいまだ解決できず、おそらくこれからも続くだろう。これを人種差別問題だとは思っていない。友人たちの推測のように、人種を基にするほどの話ではないだろうし、日本人が特定の人種を誤って理解をしているとか、不必要な恐怖心を持っているということでもなさそうなので、きっとこれは日本で起こる現象の1つとしてまだ続くのだろう。

外国人は無意味に怖がる存在ではない

ではこの15年間、何か空席問題に変化はあったのだろうか。この母娘のエピソードは、何らかの変化を表しているのだろうか。事実はおそらく「イエス」だ。この母娘のおかげで私自身があの状況に新しい対応ができたこと、そのことに感謝していること、それらが重要な変化といえる。そして今もう一度、空席問題への考え方を新しくした自分を感じている。

もう自分の隣の小さな空間に向かって、怒りや悲しみといった気持ちは薄れた。今はあの空席こそが、まるで日本的なものの見方を私にだけそっと教えてくれている存在のようだと感じている。電車だけでなく、カフェの中や大通りを歩いているときにも、私だけがアクセス可能であり、真実を映し出す情報ソースを得たような感覚だ。

外国人を無意味に怖がった娘に対して、自分が隣に座ってみせた母親。シンプルで優しいやりとりを示したあの母親を、おそらく狭い車内に乗り合わせたほかの乗客たちも感じていただろう。その中にはきっと、外国人の隣を無意識に避けた過去を振り返った人がいるかもしれないし、彼女の行動から意識を変える人がでるかもしれない。外国人を無意味に怖がる必要もなければ、避ける対象でもないと考えるきっかけになることを心から願う。

私自身の意識も変わり、そして、たった数分の間に恐怖を笑顔に変えた、あの少女のように。

バイエ・マクニール 作家

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Baye McNeil

2004年来日。作家として日本での生活に関して2作品上梓したほか、ジャパン・タイムズ紙のコラムニストとして、日本に住むアフリカ系の人々の生活について執筆。また、日本における人種や多様化問題についての講演やワークショップも行っている。ジャズと映画、そしてラーメンをこよなく愛する。現在、第1作を翻訳中。

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