日本人は、なぜ外国人の「隣」に座らないのか それは人種差別というほどでもないが
私の意に反し、その母親は、娘の反応を恥ずかしく感じたような顔を見せた。なぜ怖がる必要があるのかわからないと呆れ果てた表情にも思えた。たいていこういうときの親たちは、「ああ、よかった。外国人だからこの子が言った失礼な言葉の意味もわからないだろう」という顔をしたりして、「おいおい子どものリアクションに言葉なんかいらないぞ」とツッコミたくなるものだが、彼女は違ったのだ。
ではこの母親が娘に対してどう対応するのか、少し想像してみた。失礼な態度だとしかって幼い娘にさらなる恐怖心を与えるのか、あるいは、どうにも対処する手立てはないとして何もなかったようにするのか? いずれもありうることだと思い、私はせめて自分の視線を変えた。どちらの対処の仕方であろうと、目の当たりにするのは気分が良いことではないからだ。
電車が走り出すと、娘がチラチラと
しかし私の予想は外れ、その母親は、自分自身が私の隣に座るという行動を取った。まだ怖がっている娘を同時に空いた反対側の席に座らせて、私のほうを向くと、軽く頭を下げながら「すみません」と謝った。私は首を軽く振って「いいえ……」と答えていた。
さらに私は無意識的に、1cmほど彼女と反対側に自分の体をずらした。日本人が私の隣に座るときはいつもできるだけ体を離す。こうすることで彼らが持っているかもしれない不快感をいくらか和らげると信じている。身体的な不快感だけでなく、精神的な不快感をもだ。
すると彼女は私のこの小さな気遣いも感じ取ったようで、座席の間にできたほんの小さな隙間に視線を落としながら、優しくあたたかにほほ笑んでまた軽く頭を下げた。
電車は走り出して少し経つと、彼女の体の向こう側から先ほどの娘がチラチラと見ている視線に気がついた。まだ少し恐怖を残し、やや不機嫌な表情を浮かべ、この外国人ははたして自分の第一印象どおり”怖い”人なのかどうかを決めかねながら、なぜ母親がこの外国人の横に座らせようとしたのかを考えていたのかもしれない。
母親の体を盾にして、3度、4度と顔を見せる少女。そこで私は少し、彼女の動きに合わせてみた。もう一度顔を出すのを待ち、顔が見えたら私は顔をそむけて彼女がまた隠れるのを待つ。何度か繰り返した後、少女は笑顔で顔を出してくれた。
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