小さい頃から、「死んだらどうなるのだろう」といった正解のない、ご本人いわく「愚にもつかないような問いを立て、考えることが好きだった」という狩野さん。博士課程在籍中から英語ディベートの代用教員などとして教職のキャリア積む中、マニュアルに基づいて教えるスタイルに違和感を持ったという。
そこで、学生たちにも自分の好きなテーマを選ぶよう働きかけたのだが、学生の反応は「先生が決めて下さい。何でもやりますから」という受け身のものだった。論文指導の授業でほかの学生に意見を求めても、「いいと思います」という答えしか返って来なかったり。「とにかく意見を言わないのです。ですから、英語以前に意見を言うこと、さらには意見の作り方を教える必要があると思いました」。
危機感を覚えた狩野さんは、大学での授業とは別に、子どもの頃から自分で考え、自分の意見を表明する楽しさを体得してもらうスクール「Wonderful☆Kids」を始めた。
個として尊重するから意見が言える
そんな狩野さんなので、お子さんたちに対しても、家庭でのさまざまな会話の場面で、自分で考え、自分の言葉で気持ちや考えを表現させることを心掛けている。その教育方針は、10歳の娘さんがまだ赤ん坊だった頃に夫がつぶやいたという「この子には何でも説明してやろう!」の一言に象徴されている。
「聞いたときはビックリしましたが、即座に、人間として個人として尊重するというポリシーには大賛成だと言いました。
夫は、言葉も発せずハイハイしている娘に向かって、部屋の中でたこ足配線になっている場所を指して『ここには行っちゃダメ! なぜかと言うとね……』と、とうとうと話すような、ちょっと変なところのある人なんですけどね(笑)。彼も帰国子女で、子どもに大人への服従を強いる日本社会に対して、理不尽さを抱いてきたのでしょうね」
狩野さんのお子さんたちは、母親のことを名前で「みき」と呼ぶ。親子で名前で呼び合うなんて、友達親子みたいで子どもを生意気にさせるのではないかという反応にも出合うそうだが、「全然、そうじゃないですね。娘にとっていちばん怖いのは、母親である私。夏休みの宿題のプリントをなくしてしまったときには、目に涙をためながら、ことが起きてしまった理由や、この経験から学べる教訓を話してくれましたよ」と言う。
こうした、言葉を持って向かい合い尽くすアプローチが結実したのが、娘さんの劇団オーディションのときだろう。
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