「ナンシー関」と雑誌の「雑」について考える 小田嶋隆氏×武田砂鉄氏が語る
2002年、39歳で急逝した消しゴム版画家・ナンシー関。そのコラムは、いまなお多くの人々を魅了している。かつて週刊朝日で連載されたナンシーのコラムが、『ナンシー関の耳大全77』という一冊にまとめられた。当時、ナンシーがパトロールしていた“ちっちゃい”芸能人である小倉智昭や中山秀征がいまなお活躍できている理由は果たしてなんなのか? 「新潮45」問題を皮切りに、コラムニストの小田嶋隆氏とライターの武田砂鉄氏が解き明かす。
とりあえず「新潮45」の話でも…
武田砂鉄(以下、武田):えっと、今日のテーマは、「新潮45」(※この対談後、9月25日に休刊を発表)でしたっけ(笑)。というのも、自分は、小田嶋さんの『ポエムに万歳!』(新潮文庫)の解説を書かせてもらっているのですが、この本の初出は「新潮45」の連載でしたよね。
小田嶋隆(以下、小田嶋):そうだ、そのご縁があったんですね。でも、武田さんも小川榮太郎から、「反論があれば『きちんとした文章』で反論してください」って言われてましたね(笑)。
武田:はい。なので、Twitterに「お望み通り、『文學界』の次号連載にて、『きちんとした文章』で書きます」(※その後、『文學界』2018年11月号に掲載)とツイートしたら、「応援してます」や「頑張ってください」といった反応がたくさんきました。しかし、そもそも彼の文章が、精一杯の力を注ぐほどの「論」だとは思えないので、彼の言葉を追いながら、淡々と突くつもりです。
小田嶋:でも、あんまり容赦なく踏みつぶすと、情のない人みたいな話になっちゃうから、かえって難しいと思います。踏みつぶしておいて、「大丈夫だった?」みたいな、そういう力加減を残しておかないと(笑)。
武田:そうなんです。「論」として成立していない理由を指摘するという、容易な作業になるでしょうから、道端に咲くタンポポみたいな感じというか、少しは花を咲かせる余地を残しておく必要がありますね。