JR西「恐怖の研修」は変わらぬ体質の象徴だ あの「福知山線脱線事故」から何を学んだのか

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「線路内の作業中、電車の接近に気付くのが遅れて接触し、社員が死傷するケースがある。私たちの言葉で『退避不良』と言いますが、これは保線担当に限らず、工事担当や駅員にも起こりえる。電車が近づいてくる音というのは意外なほど気づきにくいもので、あっと思った時には目の前まで迫っていたということがよくあるんです。

その危険性を、臨場感を持って効果的に伝えるのが目的です。もちろん安全確保には十分に注意し、必ず指導教官が引率します。仮に気分が悪くなって倒れた場合でも大丈夫なように、列車との距離は1.8m離れています」

私も体感ゾーンから約2m、フェンスで仕切られた線路外に立ってみた。なるほど、列車が来るとわかっていても、その方向を見ていなければ、ほんの数秒前まで気づかないものだ。そして、通過時にはかなりの危険を感じる。ホームの上にいても同じで、駅勤務の長い社員でも恐怖を感じたことが何度もあるという。その意味では、疑似体験の意義は理解できる。

だが、博多総合車両所の研修は、トンネルという閉鎖空間で、在来線をはるかに上回る速度の新幹線が頭上を通過する。体は固まり、目を開けていることさえ難しいだろう。トンネル内での部品落下の危険性を理解させるなら、CGやVRを使ったシミュレーションのほうがはるかに教育効果があるのではないか。JR東海も以前は同様の研修を行っていたが、3年前に見直し、現在はトンネル外の線路脇の柵外で行っているという。

JR西は、毎日新聞の報道後も「研修は有効」と継続の方針を示していたが、10月16日に石井啓一国土交通大臣が疑問視する発言をし、それを取り上げる形で他メディアも報道した。結局、2カ月経った10月24日になって来島達夫社長が見直しを発表。トンネル外の線路脇へ場所を移すことになった。だが、その理由は「立ち入り手続きや安全確認に手間がかかる」などで、危険性や大臣発言の影響は認めていない。

福知山線事故遺族の淺野氏は、9月から複数の幹部に効果の検証と見直しを提案していたが、「現場の自主性」「検証に時間がかかる」などを理由に、明確な回答はなかったという。問題発覚の端緒が、会社と対立する少数組合(JR西労)だったため、中止要求を受け入れなかったという見方もある。だとすれば、それこそが組織の「変わらなさ」ではないか。

「道半ば」ではなく「始まったばかり」

昨年12月にあった新幹線の重大インシデントでは、台車破損で発生した異音や異臭の深刻さが現場から指令にうまく伝わらず、走行を続けたことがわかっている。そのインシデントを検証した安部誠治・関西大学教授は言う。

「現場での体感を通じて具体的な感覚をつかむことは必要だが、それをやろうとするあまり、実際にどんな効果が見込めるかという視点を欠き、空回りしている印象がある。組織内部の論理や思い込みで社員教育を行い、外部の専門家の目で検証されていないのが1つの要因だろう。

博多総合車両所で今年7月、新幹線内で凶器を持った乗客にどう対処するかという訓練が行われたが、これは福岡県警OBのアドバイスも得て、意義ある内容になった。このように、目的ごとに専門家や研究機関と連携して適切な安全教育を構築していくことが、今後の課題になる」

『軌道』の取材を振り返れば、「JR西の天皇」と呼ばれた井手正敬氏は「安全を等閑視したことなどない」と主張し、「現場を管理するべき幹部が現場を歩いていなかったのが事故の原因」と見なしていた。だが、国鉄時代を引きずる彼の安全思想は結局のところ、現場社員の意識や心構えという精神論に終始し、その結果、「まるでいじめ」と言われた懲罰主義や、過剰に上意下達の社員管理が横行することになった。

つまり、福知山線事故後のJR西が抱えている問題とは、安全最優先の理念は浸透しているものの、現場によってはそれが正しく理解されず、いまだに残る旧来の発想や成功体験とあいまって、履き違えた形で教育が行われている、ということだろう。そんな中、前回記事でも触れたように、事故の記憶の風化が懸念されている。

JR西日本は本当に安全最優先の企業になったのか──。最初の問いの答えになる言葉を遺族の淺野氏はこう語っている。『軌道』の出版後、JR西の新旧幹部が居並ぶ席でのことだ。

「JRの幹部たちのなかから『わが社の安全はまだ道半ば』と聞こえてくる。何を言っているのかと思う。道半ばなんて、とても到達していない。これまでのやり方ではだめだとようやく気づき、改善へ取り組もうと模索を始めたばかりじゃないですか。現状認識を間違えないでいただきたい」

私もこれに同感である。

松本 創 ノンフィクションライター

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まつもと はじむ / Hajimu Matsumoto

1970年、大阪府生まれ。神戸新聞記者を経て、現在はフリーランスのライター。関西を拠点に、政治・行政、都市や文化などをテーマに取材し、人物ルポやインタビュー、コラムなどを執筆している。著書に「第41回講談社本田靖春ノンフィクション賞」を受賞した『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』(東洋経済新報社、のちに新潮文庫)をはじめ、『誰が「橋下徹」をつくったか――大阪都構想とメディアの迷走』(140B、2016年度日本ジャーナリスト会議賞受賞)、『ふたつの震災――[1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』(西岡研介との共著、講談社)、『地方メディアの逆襲』(ちくま新書)などがある。

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