『もしドラ』編集者の「まずは10万部」の心得 「cakes」CEO加藤貞顕氏に聞く

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:そもそもコンピュータの出版社で英語の学習書なんて、企画がよく通りましたね。

加藤:最初は書籍の編集部でもないし、仲さんの言うとおりコンピュータを専門とする出版社ですから、「なんで英語の本?」ということになりました。だけど、企画書を作って絶対売れるからと説得して、なんとかチャレンジさせてもらえたのです。それが、『英語耳』というシリーズ本なんだけれど、フタを開けてみたら1年で20万部くらい売れました。その後、シリーズ化されて、全体でかなり売れたんじゃないかと思います。

:いきなり20万部! それはすごいですね。雑誌をメイン業務でやりながら、どうしてそんな本ができたんですか?

加藤:メイン業務じゃないからできたということもあります。それまで英語の学習本は、専門の出版社がまじめに作ることが一般的でしたけれど、その手法にとらわれることがなかった。それから雑誌の編集部にいたから、デザインに力を入れた。中身ももちろんイノベーティブなものでしたけれど、従来のやり方にとらわれない環境にいたからこそ、新しいものが作れたということはあると思います。それがきっかけで、書籍をもっと作りたいと思うようになって、転職してダイヤモンド社に行くことになりました。

:そうなんですね。最初から数年修行したら転職しようとか、独立しようみたいな計画があって、辞めたわけではないのですか?

加藤:そんな大層な感じではないのです。出版業界は流動性が激しいので、永久に勤めるとも思っていなかったけれど、独立ということはまったく考えていませんでした。ほら、ビジネスに興味ないオタクだったから(笑)。仲さんは、最初から起業するつもりがあったのですか?

:そうですね、私は最初から独立して自分でなにかしょうという気持ちはありました。新卒で入社して、1年半くらいで辞めてしまいました。

加藤:そうか。外資の投資銀行ってそういう人が多いですよね。その後、漫画家を目指したんですよね?

:そうです(笑)。漫画家になりたいという夢もあったので、貯金でしばらく食べて行く覚悟で、北海道に帰って漫画描くことにしました。母が北海道の大学で教鞭をとっていたので、そこに居候したわけですが、ご飯は母が用意してくれますし、家賃もかからない。家で漫画を描いているだけだし、おカネは全然使いませんでした(笑)。このままの生活で行けば、何十年も続けられるかもしれないと気づいたら、逆に「このままでいいのか? いけないだろう!」という気持ちになって、さすがに1年で辞めました(笑)。

ヒット作を生み出す秘訣

:アスキーでの『英語耳』というヒット作を出して、次のダイヤモンド社ではあの『もしドラ』をはじめ、話題の本を次々と出していかれましたよね。ヒットを生み出す秘訣はどこにあるのでしょうか。

加藤:うーん、なんでしょうか……。自分の取り組みに限らず、ヒットする本を作る人たちに共通するなと思うのは、「本を作ることをゴールとしていない」ということだと思います。出版社の書籍担当であれば、たとえば年間10冊本を作れと言われますが、そうなると本を作ることそのものが“仕事のゴール”になってしまうことがあります。だけど本来のゴールは、著者のメッセージを広く読者に届けることであるはずです。

それを意識していると、本のテーマによって、それぞれの届ける相手がいるということに気づくことができるようになります。誰に届けるかを決めれば、どうやって届けるか、デザインはどうするのか、タイトルはどうするのか、見出しはどうするのかを気づくはずなのです。

ものづくりと一緒で、“いい本を作れば売れる”というわけではないと思います。よくできているものなのに、誰に向けて作ったのかわからないと、もったいないですよね。誰にどう伝えるかということを、しっかりイメージすることが大事だと思っています。

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