日本は「超エリート」をGAFAに奪われている 「国vs.企業」新しい人材争奪戦が始まった
――最近、グーグルやアップルが採用に関して大学の学位を求めない方向性を打ち出してきましたが、この件についてはいかがお考えですか。
あくまでも実力主義ということですね。しかし、超天才的な名の知れたプログラマーで、そもそも学位、Ph.D.など必要ないという人は別として、実際には、企業に対して自分にどのぐらい能力があるかを証明するためにも学位、Ph.D.は有効です。アメリカのネットメディアには「アップルやグーグルに入るにはどの大学を選べばよいか」なんていう記事もあるほどです。
GAFAなど世界を規定する巨大プラットフォーム企業の引力は非常に強い。日本の企業に貢献してくれたかもしれない人材が、そうした企業に流れる現象は、今後しばらく止まりそうにありません。国家よりもプラットフォーム企業のほうがよりわれわれの生活に利便性をもたらしてくれるかもしれない時代に、「そんな企業に行くな」と引き留める人もいませんよね。
――かつてであれば「国を変えてやる」と言って官僚になっていた人々が、GAFAに入るというような現象も起きるのでしょうか。
実際にありますよ。これまでは国家の中核である省庁が社会の舵取りを担ってきた、ないし担っているという幻想があったわけですが、今後はGAFAなどプラットフォーム企業に入るほうが社会にインパクトを与える大きな仕事ができるかもしれない、そう考えるわけです。もっとも、官僚は文系出身が多く、GAFAの採用は理系出身が多いので、現実には何度も転職してGAFAを目指したり、GAFA以外のプラットフォーム企業に行ったりというかたちの変化が生じています。国家の持つ意味は相対的に小さくなっていると言えるかもしれません。
揺らぐ国家の存在意義
――GAFAのような企業が大きくなったいま、国家としてはどう考えるべきでしょうか。
国家はこれまで、戸籍をはじめとする制度を整備することで、自国の国民を把握しようと努力し続けてきました。個人を把握し、そのうえで、その人たちが幸せになるための政策を打つことを考えてきたわけです。
ところが、いまや大量の個人情報を集めるプラットフォーム企業のほうが、個人が求めているものを国家よりもよく知っている。そして、パーソナライゼーションを通じて、個人個人の生活にとって行政サービスより重要なサービスを提供している。国家の存在意義とはなんだろう、ということにもなりかねません。だからEUなどは、健全な自由競争の土壌を守るためにも、GDPR(一般データ保護規則)などの措置を通じて一部企業に個人情報を独占させまいと考えるわけです。一方の日本は手をこまねいている状況です。
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