「テスト結果を賞与に反映」が失敗する理由 「点取り教育」の被害者となるのは子どもだ
まず、「学力を上げるための方策として学力テストの結果と教員の評価を連動させることは効果があるのか」という点について考えてみよう。
確かに企業においては、全社や部署の業績、個人の成績に応じて賞与の金額が変動する制度は一般的だ。このような「業績連動型賞与制度」は、業績に対する従業員の意識向上や、業績に応じた人件費の適正化が主な目的となっている。つまり、従業員一人ひとりが業績アップを目指すよう、動機付けを行っているのだ。この論理で言えば、教員のボーナスを児童・生徒の学力テストの点数と連動させれば、「児童・生徒の学力テストの点数を上げよう!」という意欲は高まるかもしれない。
しかし、今回の議論の中で多く指摘されている通り、生徒の成績を高める、あるいは下げる要素は無数に存在する。特にその子の家庭環境や学校外における勉強時間などが成績に与える影響は非常に大きい。
教育格差をなくすことを目的に活動を展開するNPO法人「Learning for All」は、子どもたちは生活習慣の乱れ、家庭での学習習慣、愛着形成の遅れ、言語能力の遅れといった「学力以前の複雑な課題」を抱えており、それを解消することが彼らの学習支援にもつながるという考え方の下、「子どもの家事業」を2016年から始めている。学習自体のサポートにとどまらない、子どもの貧困対策の一面を持つこの事業には、日本財団が50億円を投じるとすでに発表している。
こうした活動が広まりつつあることを踏まえると、教師の努力だけで学力向上を実現することは実は非常に難しいのではないだろうか。学力が低い児童・生徒の点数を高めようとすると特にそうだろう。こうした条件の下では、当然受け持った生徒がどういった生徒なのか、エリアがどういったエリアなのかということが、教師の評価に大きく影響してくることになる。
公立の学校の教師も、自治体に雇われた一人の労働者である。所属先から対価をもらって仕事をしている労働者が、自らの仕事に対して得られる対価を高めるために努力することは決して不思議なことではない。
しかしその努力が、あまりにも不平等な状況下での評価や、適切な規準で測られなかったとしたらどうだろうか。いくら頑張っても結果が出ない教師がいる反面、通常業務を続ける中で生徒の学力が高まり、高い報酬が得られる教師もいる。そのなかで前者の教師は、努力を続けられるだろうか。純粋な気持ちで生徒の学びを支援し続けられるだろうか。
点数を高めようとするあまり、過去には不正が行われたという事実もある。東京都足立区の小学校で、特定の児童の答案を無断で除外し、先生が試験中に生徒に誤答を気づかせるといった不正行為が2007年に発覚し、大きく報道された。当時、足立区教育委員会は、区立小中学校に学力テストにおける各校の順位や成績によって予算の配分に傾斜をつけるなどを行っており、学力テストと予算を関連付けることによって起きた弊害であると、指摘された。これでは児童の学力向上は見込めず本末転倒であるが、このときと同じことが起こらないとは限らない。
「数値による評価」がはらむリスク
筆者は以前「全国の高校で導入中、活動記録サイトの正体」で、海外の企業で広がり始めている「ノーレイティング」という考え方を紹介した。年次での評価やランク付けを廃止するというこの考えは、評価を気にして従業員が萎縮することやチャレンジを避けるようになったり、一律の規準や軸をもうけてランク付けをすることで、特殊な技能や専門性、長期的な成果を目指す取り組みが評価されづらくなったりすることを避ける狙いがある。
松丘啓司氏は著書『人事評価はもういらない』のなかで、脳科学によると、数値によってランク付けされることによって、人は学習や成長に対してネガティブになる「硬直的なマインドセット(スタンフォード大学のキャロル・S・ドゥエック教授が提唱)」が強化されるということを紹介している。
また、アメリカUCLAで神経科学を専攻し、脳神経科学の知見を人材開発や教育に活かすために株式会社ダンシングアインシュタインを起こした青砥瑞人氏は、恐怖や不安を抱えるいわゆる心的危険状態では、扁桃体など脳のなかの恐怖や不安を司る部分が活性し、前頭前皮質の機能が失われ、自分が思い描いている行動を脳が誘導する確率が下がると指摘する。
つまり、先生を数値によって評価しモチベートすること自体が、子どもたちの学力を向上させることに対してネガティブな影響を及ぼす可能性すらあると言えるのではないだろうか。
よって、「学力テストの結果と教員の評価を連動させれば、児童・生徒の学力向上につながるのか」といえば、甚だ疑問が残ると言わざるをえない。
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