名前の似通う津軽鉄道が、津軽平野の津軽五所川原(五所川原市)―津軽中里(中泊町)を結んでいるのに対し、JR津軽線は、同じ津軽半島でも陸奥湾沿いと津軽海峡沿いを走る。鉄道ファンに愛される点は共通ながら、沿線の地勢や気候、人々の言葉はそこそこ異なる。
津軽線は1988年、青函トンネルと海峡線の開業によって、本州と北海道を結ぶ大動脈の一部となった。津軽線(青森―中小国間)と海峡線(中小国―木古内間)、そして江差線(木古内―五稜郭間)、函館本線(五稜郭―函館間)が、一体化して「津軽海峡線」を名乗り、電車特急「はつかり」や快速「海峡」、そして「日本海」「北斗星」といった寝台列車がそのレールを走った。
ただ、中小国から先の津軽線は海峡線と交わらず、それまでと変わることなく気動車が三厩まで走り続けた。今年は青函トンネル開通から30周年の節目にも当たる。
新幹線開業を境に地位低下
2002(平成14)年の東北新幹線・八戸開業、2010年の東北新幹線全線開通・新青森開業に合わせて、海峡線を行き来する列車は再編されたが、蟹田駅は津軽半島の拠点としての地位を守り続けた。特急が停車するたび、多いときは数十人が乗り降りした。東北新幹線全線開通時の2010年12月のダイヤ改正後には、特急10往復すべてが蟹田に停車するようになった。
しかし、2016年の北海道新幹線開業を境に、その光景は見られなくなった。津軽線と北海道新幹線は、津軽二股―奥津軽いまべつ間で容易に乗り継げるように見える。しかし、蟹田以北の津軽線の列車は1日わずか5往復にとどまり、待ち合わせ時間も長いため、接続機能は乏しい。多くの時間帯は、いったん青森まで戻り、さらに新青森駅まで乗り継いで、新幹線に乗る必要がある。
海峡線時代、蟹田から1時間半ほどで着けた函館まで、今では2時間半から4時間前後を要する。新幹線時代が訪れて、蟹田からは皮肉にも北海道が遠くなった。「風の町」に北海道新幹線は逆風を吹かせた。
地元はどう受け止めているのか。そもそも、北海道新幹線は何らかの恩恵をもたらしたのか。外ヶ浜町役場を訪れて、総務課の阿部清幸課長らに話を聞いた。
「新幹線の運賃が高くなったこともあり、住民からは『函館に行きづらくなった』という声を聞くことが多い」「わが家も以前なら、年に1回は函館へ出掛けていた。料金が安い割に、海を渡って小旅行気分に浸れた」「身内が県の南部に嫁いでいますが、帰省のとき、東北新幹線から奥羽線、津軽線の乗り継ぎが不便になった、と困っています」――。
通勤通学や日常生活への影響は限定的なようだが、特急列車の全廃は、暮らしの満足度に薄からぬ影を落としている様子だった。
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