バスの利用者は2017年度の実績が1便あたり1.05人と苦境にあり、国や県、自治体の補助金が頼みの綱だ。それでも、JR北海道と道南の旅行代理店が企画商品を造成したり、沿線情報のネット発信が始まったりしたせいか、2018年度はやや向上している。
最近は中泊町民がバスを利用して、今別町の「荒馬まつり」や「ウニまつり」に参加するなど、反応も現れてきた。「情報を掲示すれば、見る人は見る。路線をつなげば、動く人は動く」。前出の岩渕課長は3年目の広がりの手応えを語る。
そもそも、奥津軽いまべつ駅に冠された「奥津軽」という呼称は、津軽平野北部や津軽の日本海岸をブランディングしようと、五所川原青年会議所が1980年代末につくり出した名だ。
今別町は「奥津軽」地域には含まれていなかったが、新幹線駅は仮称の段階から「奥津軽」を名乗り、最終的に「奥津軽いまべつ駅」に落ち着いた経緯がある。津軽地方への玄関口という機能を強く意識してきた同駅が真価を発揮できるか。住民の意識や人の流れはどう変わっていくのだろうか。
フェリー「かもしか」、イルカで脚光
「東西方向のつながり」の点では、蟹田港と下北半島・むつ市脇野沢港の間、陸奥湾を東西につなぐフェリー航路も最近、話題を呼んでいる。乗用車20台、バスなら4台を積める小さなフェリー「かもしか」が、観光シーズンは1日3往復、それ以外は2往復運航する。
集客は苦戦続きだったが、近年、筆者が所属する青森大学の研究者が、初夏に陸奥湾を訪れるイルカの大群をあらためて学術的に調査し、ネットでの情報集発信も進んできた。フェリーと併走するイルカの姿は撮影も容易で、SNSなどで脚光を浴びている。
津軽半島の地図には、「平成の大合併」の陰影が複雑に残る。さまざまな地域事情で、飛び地合併をした自治体と、それに取り残された形の自治体がモザイク状に入り組んでいる。産業が乏しく、県内ワースト級の人口減少と高齢化が進む中、地元はどんな活路を切り開くのか。また、JR職員と自治体のコラボは今後、どのような進展を見せるのか。「人口減少社会の再デザイン」の最前線の営みから、目が離せない。
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