不祥事が相次ぐスポーツ界に蔓延する勘違い スポーツが持つ本来の価値とはそもそも何か

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そもそもスポーツは「健全な精神は健全な肉体に宿る」ということで、自らの存在意義を強調している場合が多いようにも思う。ここに問題はないのだろうか。この言葉はどこから来たのであろうか。

調べてみると、語源は古代ローマ時代の詩人ユウェナリス(Juvenalis)の『風刺詩集』第10編にある一節だった。

ラテン語で「Orandum est ut sit mens sana in corpore sano.」がその言葉だ。

読み方は「オーランドゥム・エスト・ウト・シト・メンス・サーナ・イン・コルポレ・サーノー」だ。

英語訳は「A sound mind in a sound body」とシンプルに訳されることがあり、それが「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という日本語訳になっているようである。

ラテン語の本来の語義

ラテン語研究者の山下太郎氏によれば、「Orandum est ut」とはut以下の内容が「祈られるべき」という意味で、ut以下は「健全な精神が健全な肉体にある」だ。

すなわち、「You should pray for a healthy mind in a healthy body」が正しく、「健全な精神が健全な肉体にあるように祈られるべきである」ということだ。

そして重要なのは、『風刺詩集』第10編は、幸福を得るため多くの人が神に祈る事柄(富、地位、栄光、美貌など)を挙げ、いずれも身の破滅につながるので願い事はするべきではないと戒めている詩であるということだ。

ユウェナリスはこの詩の中で、もし祈るとすればということで、この言葉を使っている。山下氏によれば、人間はあれこれ分不相応な欲望を持つが、願い事をするならもっとつつましく「健全な精神が健全な肉体に宿りますように」とお祈りすべきである、という主張がその詩の中には示されているだけだという。

この時代にも不祥事が続き、せっかく健全な肉体を持っているのだから、精神も健全にという思いを表した言葉という見解もある。

近世になって国家間の覇権争いが始まると、ナチス・ドイツなどがスローガンとしてこの言葉を利用し、身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるとして、軍国主義を推し進めたとされる。

日本でも軍国主義の時代を経て、「宿る」という言葉が使われはじめ、「健全な肉体でなければ健全な精神は宿らない」という解釈となり、今日のスポーツ界の信仰のようになっているようにも思う。スポーツ界の非科学的発想、軍国主義の影響はよく指摘される。

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