荒木大輔vs愛甲猛、1980年の夏もアツかった 38年前甲子園に降臨した一年生エースの躍動
「大ちゃんフィーバー」に熱狂した1980年の夏
荒木大輔が1回戦で優勝候補の北陽(大阪・現関大北陽)に1安打完封勝ちをおさめた瞬間から「大ちゃんフィーバー」は始まった。まったく下馬評にあがっていなかったチームが一気に注目を集めるようになった。もちろん、早実は誰もが認める名門だが、全国に名を知られる選手はひとりもおらず、背番号11を背負った荒木に気負いはなかった。
荒木は言う。
「自分たちは強くないというのが全員の共通認識でした。北陽は強打で大阪を勝ち抜いたチーム。僕が1年生ピッチャーだということもあって、相当な自信を持っていたと思う。でも、あの試合が終わった瞬間に『世界が変わった』と感じました」
この日、「甲子園のアイドル」が降臨したことで、世界がすっかり変わってしまった。テレビ、新聞など多くのメディアが群がり、女子高生をはじめとする女性ファンが甲子園に大挙するようになった。
「芸能界のことはわからないけど、ジャニーズのようなアイドルの周辺と似た感じだったんじゃないでしょうか。彼らは注目を集めたい、人気者になりたいと思って頑張るんだろうけど、僕はそんなことは考えたことがない。だから、戸惑いはありました」(荒木)
インターネットのない時代。テレビの影響力はいまでは考えられないほど強かった。この試合の観衆は4万4000人だったが、ブラウン管の向こうの人々がどれだけ荒木のピッチングに魅せられたことか。「大ちゃんフィーバー」は2年間続いた。
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