三陸鉄道、「あまロス」なしで全線開通へ

『あまちゃん』続編期待!復旧間近の三鉄の魅力に迫る

「盛駅からJRの大船渡線、気仙沼線、石巻線とつながり、東北一の都市である仙台まで一直線でつながりました。そうなれば、ローカル線としても観光でいろいろ考えられるようになります。岩手県内の観光客だけでなく、宮城県内からの観光客を呼び込むことも可能になったのです」

カラフルなお座敷列車。観光客の呼びこみは震災前も後も、営業の重要な柱

観光客の呼び込みはもちろん、営業の大きな柱だった。しかし、三陸鉄道が当時、一番力を入れていたのが、地元住民の足、とくに高校生の通学であったという。

「当時、道路も整備されておらず、路線バスも少なかった。隣の市に行くだけでも、峠をいくつも超えなければならない、と言う地域が、三陸鉄道沿岸にいくつも存在していたのです。それが、とにかく駅にさえ出てくれば、街に通える。そこでまず、高校進学率が上がったのです」

1980年代、全国平均で高校進学率が90%を超えていたとき、三陸沿岸部では「通えない」ことを理由に進学をあきらめていた人がいたのである。それが鉄道の開通により、子供たちの将来の選択肢が増えるという、人を運搬する、と言うだけではない役割も果たしたのだ。

道路が整備され、利用者が減った

だが、再び時代の荒波に三鉄の経営は翻弄されるようになる。

「これがモータリゼーションの実情よ」

あまちゃんのドラマの中で北三陸駅駅長、大吉がため息をつくシーンがある。山の中の道が整備されたことで自家用車保有率がアップ。列車の時間を待つよりも、車で移動するほうが格段に便利になった。三陸鉄道の乗車率は落ちこみ、収益も右肩下がりになっていったのである。

「車が増えることによって、公共施設も商業施設も、巨大駐車場が必要になりました。駅前にあったそういったものが、すべて内陸に移動した。結果、列車を使う人も駅からまたバスに乗らなければならなくなったのです」

 宮古駅周辺で言えば、県立病院も内陸部へ移転した。駐車場を確保するため、主要施設は駅から遠くなり、それまで列車で来ていた人たちが取り残された。その多くが高齢者たちだ。

「結局、列車に乗ってバスに乗り換えるよりは、バスだけで行ける方法をとるようになる。家族に頼んでクルマで送り迎えをしてもらうようになる。沿線の住民の足という役割が、どんどんできなくなってきたのです」

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