医療ドラマを下支えする「医療監修」の真髄 医療監修の大きな使命は「弱者を守る」こと
場合によっては「このドラマの医療部分全体を考えてくれ」と依頼されることもあります。どんな手術があって、どう施術して、その間にどんなハプニングが発生するのか……制作スタッフと話し合いながらアイデアを出していく。この場合は技術監修だけでなく、ドラマの内容にも大きく関わることになるので、とても幅広い役割になってきます。
「ドクターX ~外科医・大門未知子~」(同)では最初から、しかも根幹の部分で関わりました。ドラマを立ち上げる段階から、制作の人たちとどんなドラマを作るか話し合ったんです。そこで私が考えたのは、3つのテーマです。まず「早く帰る女性医師」です。
今、勤務超過の医師が多すぎる状況ですが、私が働いていた職場には「5時半からフラメンコのレッスンがあるから帰る」と言って、5時に帰る女性医師がいました。そうしたライフスタイルはテーマになると思ったんです。次に「リスクを取るヒーロー的医師」です。
昔、私が医師になったばかりの頃は、患者さんは医師に対して「お任せします」、医師は患者さんに「お任せください」という風に、シンプルな関係でしたが、今は違います。昨今は医療訴訟が多いので、医者は手術するときにリスクをたくさん検討して、自身の立場を守らざるを得ません。そんな時代にあって、患者と強い信頼関係が築けるヒーロー的な医師がいてもいいんじゃないかと考えました。
「私、失敗しないので。」という決めゼリフは、私が作ったわけではないですが、そんな「絶対失敗しない医師」もありだと思いました。そして3つ目は「医療改革への貢献」です。「白い巨塔」(フジテレビ)でも描かれているように、医療の世界は封建的です。年功序列で上司が絶対の世界。教授や准教授の言うことを下の人間は聞かなければなりません。
そうした状態が、日本の医療にさまざまな歪みを生み出していると思うんです。私が医療ジャーナリストとして改善を主張したところでなかなか変えられませんが、ドラマのテーマにして描くことで、何か変化を起こすことができるかもしれない。ドラマのなかで、自分の実力を武器に、ちゃんとモノを言う人物を描いていくことで、ひいては医療改革につながるんじゃないかと思ったんです。
「ドクターX」での医療監修では、関わり方によっては自分の思いもドラマに反映させてもらえるということがわかりました。そういう意味では、とてもクリエイティブな仕事です。
医療監修の大きな使命は“弱者を守る”こと
医療監修を務めるうえで、私が注意していることが3つあります。
まず「不快にさせないこと」です。医療ドラマでは具体的な病名が出てきます。それを同じ状況の患者さんも視聴しています。またはドラマと同じような手術を受ける人が、手術の直前に見ているかもしれません。そういう人たちを不快にしてはいけないんです。私は、自分が監修するドラマの放送期間は、ツイッターをしっかり見ています。もし、誰かが不快に感じたことがわかれば、制作サイドに伝えます。
2つ目は「過度な期待を持たせないこと」です。いくらフィクションだといっても、命を扱うストーリーはファンタジーではいけません。ファンタジーになってしまうと、「こういう方法なら治るのかもしれない」「こういう先生がいるかもしれない」などと、過度な期待につながってしまいます。でも現実はその期待通りにはならないので、ダメだったことの悲しみが大きくなります。それは罪深いことだと思います。
そのためにも、医療ドラマでの演出は “ドキュメンタリー+演出”くらいにとどめるべきです。むしろ可能な限り、ドキュメンタリーに近づけるほうがいいと思います。これはドラマに限らず、医療情報番組にも言えることです。