15世代目新型クラウンの開発を担った秋山晃チーフエンジニアは、トヨタ自動車創業者である豊田喜一郎の「日本人の腕と頭で世界に誇れる車をつくる」との思いを継承し、もう一度世界を驚かせたいと語り、中村主査も当時、同じ志で豊田喜一郎の思いを実現し、それはクラウンのみならず初代センチュリーにも込められていたと想像できる。
「日本人の腕と頭で世界に誇れる車をつくる」との思いは、センチュリーの外観にもみることができる。ことに顔つきは、世界を見渡してもほかのどの高級車とも異なる造形であり、なおかつそれが初代誕生から約30年にわたってフルモデルチェンジせず継承された。いかに時代を超えた造形であったか、いま振り返ると改めて思い知らされる。
なおかつその基本的な特徴は、2世代目を経て最新の3代目にも継承され、どこから見てもセンチュリーであるとわかる顔つきになっている。
ユニバーサルデザインの視点
センチュリーは、運転手付きで後席に乗ることを目的とした4ドアセダンである。したがって、後席乗員をもてなす快適性や、乗降のしやすさが何より重視される。そこに今日でいう、ユニバーサルデザインの視点をうかがい知ることもできる。
クラウンとは別に独自設計され、乗り心地を極めるため、初代はエアサスペンションの採用を視野に設計された。エアサスペンションは当時、1960年代のメルセデス・ベンツの最上級車種300SEL 6.3など一部の車種にしか採用されていなかったはずだ。その後、エアサスペンションの採用を見送ることもあったが、2世代目もエアサスペンションを想定して開発され、3代目でもエアサスペンションを装備している。保守管理に手間がかかるが、揺れの少ない乗り心地と操縦安定性の両立に一役買うサスペンション形式だ。
あるいは、後席からの乗り降りをしやすくするため、後ろのドア下端の切り欠きを、前のドアより低くして足を外へ出しやすくすることなども初代では行われていた。
さらに、後ろのドア後端の切り欠きを後輪のホイールハウスより前とすることで、座席背もたれから体を横へずらすだけで降りられるようになっている。高齢になると腹筋や背筋が弱り、体を起こすことが難しくなる乗員に対し、座った姿勢のまま外へ出られるようにした配慮である。この構造を採ることにより、実は狭い場所で後ろのドアを大きく開けられない状況でも、乗り降りを容易にする副次的な効果もある。
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