41歳「電子機器」に強烈な情熱を注ぐ男の稼業 大きくした会社を去ってモノづくりに戻った

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「大学4年生のときに自分の将来の目標を音声で吹き込む授業があって、『自分は30歳までに独立するんだ』と宣言しているんですよ。もう20代後半でしたが、目標を実現するにはまだ経験が足りない。そろそろ動き出さないとダメだなと思い始めていた頃に、いろいろなタイミングが重なりまして」

春先に韓国ハンファグループの日本法人から企画職として声をかけられ、すぐに転職を決意。5月31日に退職した翌日には新会社に出勤し、その午後にはコンピュータ機器の国際見本市を視察するために台湾に飛んだ。

その後、自らのチームで「東京スタイル」という高級路線のPCパーツブランドを立ち上げるなどの実績を残したが、2007年4月に退職する。有志3人で立ち上げた新会社レイ・アウトで活動するためだ。タイミングの幸運にも恵まれて、29歳と11カ月でついに“独立”を果たすことになる。

レイ・アウトにはこれまで所属した会社のような潤沢な資金はない。創業者たちの持ち出しだけだ。それでやっていくには、コストがかかる電子機器本体ではなく、機器まわりのカバーやゴム足などのサプライ品に回るしかなかった。サプライ品なら何が売れるだろうか。当時は音楽プレーヤーのiPodが国内でヒットしていたので、そのカバーやケースを製造することで回していくことにしよう。経営畑出身の仲間の見立てが当たり、新会社は一期目から黒字を達成する。

しかし、会社を回していくのはこれまでにない苦労がつきまとった。3人で始めた会社に責任を縦割りする余裕はない。全員がオールラウンダーとなり、製品開発や製品サポートだけでなく、中国や台湾の工場との交渉や国境を越えた輸出入の調整、銀行からの借り入れに営業、供給調整と自社サイトの開発、さらには人材育成まで、何でもやらなければならなくなった。黒字倒産の危機も2回経験した。

「自分のあり金をボカーンと入れたので、失敗するわけにはいかない。相当な覚悟でやりました。ただ、経営経験のある仲間からノウハウを学びながらやれたのはありがたかったです。あの頃の経験は本当、今に生きていますね」

経営者の視点はこれまでとはまったく違った。専門領域だけ把握していればよかった2社目までとは違い、企業活動のすべてが自分の領域として迫ってくる。状況に応じた高度な判断能力が問われるが、それを養うにはすべての領域を理解していなければならない。内容ごとの向き不向きや、好き嫌いなんて言っていられなかった。とにかく、がむしゃらにやる。それが心地良いと思える性分だからこそ乗り越えられた部分があったのかもしれない。

現場でモノづくりがしたい

その後、iPodブームがiPhoneブーム、ひいてはスマホブームになったのはご承知のとおり。スマホケースの先行者となった同社は以来順調に拡大成長していく。が、九鬼さんの心はしだいに同社から離れていった。経営陣から顧問を経て、2016年初旬に会社を去る。

背景にはさまざまな理由があったようだが、次のコメントにひとつの本音がにじむ。

「根本には現場でモノづくりしたいというのがあるんですよね。会社が大きくなって人が増えると、人を管理する人が必要になってくる。それが経営者の仕事になっていくと、どうしても現場から離れていってしまう。欲張りなので、それは嫌だという思いがありました」

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