大阪・昭和町「長屋街」が見事再生できた理由 再生の原動力は3代続く不動産屋の地元愛だ
寺西家阿倍野長屋オープンの後、小山さんは「数十年も借りていた人が住まなくなったので、持っている長屋を他の人に貸したい」と家主から相談を受けた。大正14年(1925年)に建てられた建物で内風呂もない。借家として再活用するには大規模な改修が必要で、家主の投資リスクも大きくなる。
相談の結果、借家ではなく貸店舗として活用することになった。だが、寺西家のような文化財でも外見がきれいなわけでもない。テナントを募集しても良い借り主は見込めないだろう。小山さんは考えた結果、一般的な「テナント募集」という看板ではなく、「長屋で素敵なお店づくりをしませんか」とキャッチコピーの入った看板を現地に掲示した。
それでも古い長屋を現状のまま店舗として貸し出す事自体が理解されず、時間だけが過ぎていった。そこで小山さんは家主が大きな投資をしないかわりに、家賃を近隣の相場よりかなり低く設定。3年間の定期借家契約で期限を切って店の経営状況などを見ながら家賃をコントロールしていく契約法を提案した。
事業のスタートアップが楽になるこの手法は、テナントサイドにも共感してもらい、無事契約が成立。2005年「金魚カフェ」がオープンした。もっとも店は開店したものの、当時はまだ今ほど知名度がない昭和町に簡単にお客は来ない。次に小山さんは、ブログやTwitterなどのソーシャルネットワーク(SNS)を使って、店を紹介するなどテナントの集客をサポートした。
この金魚カフェは、テナント募集から改装、店のオープンまで、小山さんにとって初めて自分ひとりで取り組んだ物件となり、今のノウハウの礎がここででき上がった。
DIYセルフ工事により戸建住宅を再生
金魚カフェの完成後、積極的にSNSで情報を発信していると、「長屋を借りたい」という問い合わせが少しずつ増えてきた。ある日、若者4人が「古い長屋で営業したいが、人気の他エリアはすでに家賃が高過ぎて借りられない。どんなに汚くても自分たちできれいにするから、自由に改装工事ができる物件はないか」と聞いてきた。
小山さんにはボロボロの物件にひとつ心当たりがあった。4軒長屋の1軒が10年も空き家になっていたのだ。早速家主と交渉した。家賃は周辺の相場だが、自由に改装してもよいという条件で契約を締結。そこから4人のDIYが始まり、その間彼らが発信した工事の様子や完成後のカフェと家具の店の様子がSNSで発信されるとこれが大きな反響を呼んだ。この後小山さんの会社には「長屋で店をしたい」「物件はないか?」の問い合わせが殺到することとなる。
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