そんな最中、「ご飯食べていけば」と、別れた妻の作ってくれたある日の夕食に、Yの昔からの好物、鶏肉とニンニクの芽の炒め物が並んでいた。はたして意図して作ってくれたものだったのか、それとも単に気まぐれだったのかはわからない。それでも、久々の好物を手放しで喜ぶYに、気がつけば妻も、昔と変わらない笑顔を返してくれるようになっていたという。
夫婦でいることはできなかったが、自分は大切な子どもたちの父親として、今でもちゃんと必要とされている。
娘への誹謗中傷が収まった頃には、離婚以降、長いことYの心の中に立ち込めていた厚い雲が、いつの間にかすっきりと消え、晴れ渡っているように感じた。
離婚は不幸の終わり
世の子どもたちにとって、親の離婚は多くの場合、大好きな片方の親との別離だ。だから、親はどうしても後ろめたさを感じるし、現実がどうであれ、手放しで“離婚してよかった”とは言いづらいのが親の本音だろう。そのせいもあってか、平成も終わりかけの今なお“離婚≒不幸”というのが一般的な認識だ。
けれど、少なくとも私は離婚をしてよかったと思う。いちばんの理由は離婚をしたことがきっかけで元の配偶者と、私や、私達家族との関係が健全化したからだ。
Yにそれを言うとうんうん、と深くうなずく。
「家族っていうのはさ、全員で神輿を担いでいるようなものなんだよ。離婚して俺が抜けて、俺の家族はそれまでと同じ神輿を、3人で支えなきゃいけなくなったんだよね。離婚した親が子どもに感じる後ろめたさって、そういうところにあると思う。だけど時間とともにどうしたって人の気持ちも変われば、状況も変わる。家族の体制そのものを変えなきゃどうしようもないときもあるんだよね」
そうして、やむをえず家族の形を変えたYが直面した娘の事件は、ひとつ屋根の下に住んでいなくても、同じ神輿を担ぐ一員でなくなっても、いざとなればちゃんと助け合うことができる、家族全員がそう確認するために、決して避けて通ることのできない、必要な試練だったと言えるだろう。
“あなたたちは離婚して幸せになった2人”
Yのすがすがしい表情を前に、友人の言ったこの言葉の意味を改めて考えた。
離婚によって夫婦関係は終わるが、同時に親としての役割が終わるかというと、必ずしもそうではない。
家族の中で自分や誰かが一度失った役割を、新しい体制の下で新たに発見することができるかどうか。もしかするとこの辺に、離婚を幸せの終わりにするのか、始まりにするのか。結果を左右するカギが眠っているのかもしれない。
せっかくなのでその日、Yのぼんやりとした味の記憶を頼りに、鶏肉とニンニクと芽の炒め物を作って振る舞った。
「うまい!」
顔を輝かせて言うYの、次の言葉を待つ。
「……でもやっぱり何かが違う(笑)」
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