あなたが知らない「北朝鮮に暮らす人」の素顔 訪ね続けたNGO職員と映画監督が語る
ここで2017年に日本の大学生との交流を待ち望んでいた平壌で暮らす若者の声を聞いてください。1人目は、代表団の通訳として参加した平壌外国語大学の卒業生キム・チョンナムさん。彼はお父さんが外交官で、モスクワに3年間住んでいました。2017年の春に卒業して、8月の段階では、就職の配属待ちだと言っていました。
「実は私、日本の学生たちが来ると聞いて、本当に関心を持っていました。私はまだ日本人と一度も直接会ったことがないし、だからすごく悲しかったんです。しかし、情勢のせいで来られなかったことに、私は残念に思います。だから、今は離れていてもお互いに今後頑張って、来年きっと会えるように私は願っています。じゃあ、来年会う時まで、お体に気をつけて、勉強頑張って!」
日本語を選んだ理由
2人目は、平壌外国語大学日本語学科のキム・ジソンさんです。
「私が日本語を選んだ理由を話しますと、日本語は発音が女性らしくて綺麗だと思いました。また、日本は近い国で、私の国、朝鮮と深い関係があります。日本は40年以上、私の国を植民地にしながら莫大な不幸を与えました。朝鮮人に与えた(苦痛の)謝罪を、必ず日本から得なければいけないと思って、私が朝鮮と日本の関係で何か努力しようと思って日本語を学びました」
3人目は、私たちの通訳として参加予定だった、平壌外国語大学日本語学科のリ・クムへさんです。彼女は、2017年の大学生交流に通訳として参加する予定でした。どうやら成績上位の子が私たちの通訳についてくれるみたいで、彼女は先輩から交流のことを聞いていて以来、「這ってでも通訳につきたい!」と勉強を頑張って。休みの日も、「私は負けず嫌いですから、ずっと勉強をしています」と言っていました。念願叶って2017年の通訳に任命されたそうなのですが、日本から学生が行かなかったので、すごく残念で仕方ないという彼女の気持ちが表れたメッセージです。
「去年は私の先輩たちが通訳に動員されましたから、もう次は私の番だと想って。クラスに12人いますけど、私はどんなことがあっても我を張ってでも、実力がないと言われても、無条件に彼らと会っていろんなことを話したいと。国交正常化は私たちの肩に乗っていますから、一緒に手を合わせて、近くて遠い国ではなく、近くてもっと近い国にするために頑張りましょうって。いろんなことを話したかったんですけど、残念で、残念で。私もまだ若いですから、機会がたくさんあると思います。その時は今の気持ちを込めて、もっとたくさんのことを言い合いたいと思っています。
私が日本語で一番好きな言葉は、『思いやり』という言葉がとても気に入りました。私の国では、他人のことを自分のことのように思う、集団精神を学ぶように努力していますけど、私はちょっと冷たい女で、エゴイズムのところがあって。私一人だけよく勉強したい、私一人だけよく知ればいい、そういうところが人一倍強かったと思っています。『思いやり』という言葉を勉強して、資本主義社会に暮らしている人たちも、『思いやり』という言葉を喜んで使っているのに、私のように集団主義社会で暮らして教育を受けた人が、自分のことばかりを思ってはいけないと思うようになりました」