「もっともっときょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」などとノートに綴ったのは、就学前の5歳で親からの虐待で命を落とした東京・目黒区の船戸結愛ちゃんでした。
どんな思いで彼女がこれを書いたかと想像するだけで悲しすぎ、胸が詰まって、憤りが収まりません。
繰り返される無責任体制
事件が詳しく報じられるにつけ、今回もまた、児童相談所がその職責を果たさなかったことが浮き彫りになっています。もちろん一番罪深いのは虐待した親ですが、私は何よりも児童相談所職員が、「手が足らない」「事件性がなかった」などと理由を並べ、サボタージュに近い仕事ぶりでも何の罪も問われないことが繰り返されている点に、強い憤りを覚えます。
佐々木拓夢ちゃん、斎藤理玖くん、坂本愛羅ちゃんたちは、まだ記憶に新しい名前です。2006年に京都府長岡京市で虐待・餓死した3歳の佐々木拓夢ちゃんは、その年の6月から10月の間に、少なくとも5回の住民や自治会から虐待の通報をしたのに、児童相談所も警察も動かなかったことで忘れられない事件です。拓夢ちゃんの姉(6歳)がトイレの窓から道行く人に、「なにかたべものをちょうだい」と訴えて保護されている間のできごとでした。
児童相談所は一度も立ち入りをせず、電話で父親に確認しただけでした。「はい、実は虐待しています」と認めるとでも思ったのでしょうか。この時の京都府児童相談所の所長は、「判断に甘さがあった」と会見しました。その直前には厚生労働省からの通達もあり、さすがに以降はもっと警察との連携も密にし、全国の児童相談所が教訓として生かすようになったのだろうと信じました。
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