2014年に発覚した厚木市の理玖くんの事件も凄惨でした。マンションの一室に閉じ込められ、パンかおにぎりを、虐待する犬に与えるように与えられた5歳児の理玖ちゃんは、立ち去ろうとする父親の服を衰弱する身で引っ張り、最後に「パパ」と呼びました。それは2006年ごろのことでした。
その前の歩ける時には、おむつ姿ではだしで道を歩いているのを「迷い子」として保護されましたが、警察と児童相談所は家に帰しているのです。その後、与えるパンなども週に1~2度になり、生きていたら中学に入学する年になって、ゴミまみれの中で白骨体で発見されました。小学校入学時にも発見されるチャンスはありましたが(手遅れでしたが)、この問題について誰一人責任を問われていません。
2014年に2歳で虐待死した愛羅ちゃんは2本の肋骨の骨折や40カ所の傷やあざを負い、虐待死しました。虐待を疑われる通報で、その死の5日前に駆け付けた警察署員は「服を脱がせるタイミングがなく、(虐待の痕を)発見できなかった」と言ったと報じられました。「駆け付けた」だけで、彼らの任務は終了していたということです。この時も児童相談所は半年以上愛羅ちゃんの姿を確認していないのに、「母親は問題ないと言っていたから」と言い逃れをしています。
心中を除いた児童虐待死は、年間50人以上にのぼります(NPO法人児童虐待防止全国ネットワーク)、防ぐ手立てがあった事件も多いにもかかわらず、なぜ言い訳が通用し続けるのでしょうか。
結愛ちゃんは周囲から見殺しにされた
結愛ちゃんは目黒区に引っ越してくる前の香川県善通寺市で二度も、下唇などに傷を負いながら外に出されているところを保護されています。
その時は父親への思いを、言葉ではうまく言えないと手紙でサラサラ書いたそうです。恐怖が強かったのでしょう。「パパ、ママ、いらん」「お父さんにたたかれた」「けられた」「まえのパパがよかった」とも言っていたそうです。
そして二度とも父親は書類送検されたのに不起訴になり、一時保護も解除されています。その後の病院からの虐待の痕跡の通知にも保護装置は取られていませんでした。本来であれば、この段階で彼女の命は救えたはずでした。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら