「食堂車」フランス料理も寿司もありの120年 ブルトレ・特急・新幹線…レア写真で見る歴史
これらの豪華寝台列車を語るうえで外せないのは、やはり前述の「オリエント急行」だろう。オリエント急行は1988年にフジテレビの開局30周年記念イベントとして日本に招かれ、パリを起点にシベリアを経由して来日し、終点の東京に到着後は国内各地をクルージングした。
この際、筆者はテレビ局の番組監修とオフィシャルカメラマンを務めたので、パリ―東京間の最終区間であった広島―東京間で乗車取材したが、特に食堂車の料理のすばらしさ、ベテランのスタッフによる接客の良さにはさすがオリエント急行と感心した次第だ。
ちなみにこれらの料理の数々は厨房で原材料から調理され、それには石炭レンジが用いられた。本来、調理に石炭を使用して火を使う車両は国内では運転できないが、オリエント急行は特別な認可を受け、青函トンネルを通過したのである。
懐かしの新幹線食堂車
食堂車を語るうえでは、新幹線も外せない。
1964(昭和39)年10月1日、東海道新幹線が開業し、同時に新幹線電車にはビュッフェが営業を開始した。筆者はこの翌年、上京の際にビュッフェを体験したが、指定席があるにもかかわらず、東京までの大半の時間をビュッフェで過ごし、壁にある速度計を眺めていたものである。当時のビュッフェのメニューはカレーライスやサンドイッチなどの軽食類が主体だった。のちに東北・上越新幹線が開業した際も、ほぼ同形式のビュッフェが設けられた。
新幹線に食堂車が登場したのは1974(昭和49)年9月で、「ひかり」の8号車に初の食堂車が連結されたが、在来線の食堂車とは違い、食堂車利用者以外が通る通路は山側に独立して設けられた。この通路と食堂の間には壁があり、「富士山が見えない」と食堂利用者から苦情が寄せられたため、1979(昭和54)年以降は通路側の壁面に窓が設置され、食事をしながら富士山を見ることができるようになった。
この時代、新幹線の食堂車では日本食堂、帝国ホテル、都ホテル、ビュッフェ東京の4つの業者がそれぞれ自慢の料理を競っていた。時刻表には列車ごとに食堂車の担当業者が明記されていて、乗客は自分の好みの業者を選ぶことができた。筆者は帝国ホテルのステーキ定食、日本食堂のビーフシチュー定食を選んで乗車したものだ。
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