「食堂車」フランス料理も寿司もありの120年 ブルトレ・特急・新幹線…レア写真で見る歴史
昭和30年代後半になると、長距離の急行電車に「ビュッフェ」が登場した。東海道・山陽本線の「なにわ」「いこま」「宮島」をはじめ、電車によって運転される北陸・上越・東北・中央本線などの急行に連結され、カレーライスやサンドイッチ、そばなどの軽食を提供した。
この中で特筆されるのは、1965(昭和40)年に東京―大阪間の急行「いこま」「せっつ」のビュッフェにおいて、本邦初の握りずしのカウンターを設けた「すし電車」が登場したことだ。当時、車内ですしを握った岸山仁さんによると、揺れる車内で刃物を扱うので細心の注意を払って握っていたという。ちなみに上にぎり寿司は250円だった。
ちなみに岸山さんは退職後、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で鉄道ムードのすし店「つばめ鮨」を開店、当時車内で提供していた「お好み寿司」を再現し、鉄道ファンらが訪れて人気を集めていた。残念ながら岸山さんは2016(平成28)年に他界され「すし電車」も伝説になった。
ブルートレインの食堂車
食堂車の中でも特に華やかだったのは特急列車、特に長距離を走る寝台特急・ブルートレインの食堂車だろう。
東京―博多間に寝台特急「あさかぜ」が登場したのは1956(昭和31)年のこと。当初から食堂車はあったが、1958(昭和33)年には車両が新たに開発された20系客車に代わり、いわゆる「ブルートレイン」の草分けとなった。筆者が初めて乗ったブルートレインはこの20系「あさかぜ」で、食堂車ではビーフシチュー定食を食べた記憶がある。
1977(昭和52)年には20系に代わって新型客車の24系25形が「あさかぜ」に投入され、同列車をはじめ「富士」「はやぶさ」「出雲」などが個室A寝台を連結した編成になった。
この頃、鉄道少年の間で「ブルトレブーム」が起こり、鉄道ファンの間でブルトレはあこがれの列車となった。当時、筆者は『ケイブンシャの大百科』や『鉄道ジャーナル』誌のブルートレイン添乗取材が多く、多い時には月に2度も九州を往復したほどだ。主に取材したのは「あさかぜ」「さくら」「富士」「はやぶさ」「みずほ」など食堂車を連結したブルトレだった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら