がんばれ!? 元気の出るベーシックインカム 議論には社会保障の正確な理解が欠かせない
このアトキンソンは、若い頃にジェイムズ・ミードの下で学んでいた。ミードは今でもしばしばベーシックインカムの推進論者として引き合いに出される。1960年代、英ケンブリッジ大学の経済学者ミードは、確かに、学生たちに、所得に比例した税と均一に配られる給付、つまりベーシックインカムの経済効果を考えるよう指示してはいた。しかしミードも学生たちも実現不可能な規模の費用がかかるとわかっていたので、当時からベーシックインカムの「変種」探しが続けられた。
そして教え子の1人であったアトキンソンは、後年、市民権に基づき国民に例外なく配るベーシックインカムでなく、社会保障を補完する制度として、社会参加に基づいて支払われる参加型所得を唱えるようになる。参加は広範に社会的な貢献をすることとされ、社会保障が人々の自立支援、社会参加を促す政策であることを理解したうえでの提案である。アトキンソンは児童手当も子ども向けベーシックインカムと呼んでいて、これは社会保障の世界で、年齢や性に基づく給付をデモグラント(demographic + grantの造語)と呼んだり、貧困の罠を緩和するためにターゲット指標、たとえば失業、病気、引退、子ども養育中など、といった事態に着目して給付を行なっている話と符合する。
だが、現在、フィンランドで試験的に実施されているものをベーシックインカムの導入実験と呼ぶのは、何も知らない人たちに誤解を与える。実際は、複雑になり過ぎた失業関連給付を整理し、就労を阻害するインセンティブ(誘因)を弱めるためにあまり条件を付けずに給付を行い、役所の組織や手続きも簡素化しようというものだからだ。そうした制度さえ、今年の年末には中止しようとされている。まして条件①、②を満たす制度を行った国など、今も昔もどこにもない。話題にされているのは別物である。
なぜ関心を集めるのか?
先日、学生新聞の記者が、インタビューに訪ねてきた。彼らが、「ベーシックインカムはどうして関心を集めるのか」と問うから、私の方から、「今、ディベートでもするかというとき、テーマの1つは社会保障、もう1つはベーシックインカムだとしようか。君たちは、どっちを選ぶ?」と尋ねると、彼らはそろって、「ベーシックインカムです(笑)」と答えた。
ここに、ベーシックインカムが関心を集める理由があるわけで、これからも、社会保障の議論とは日頃無縁な編集者たちによって雑誌や新聞で特集も組まれれば、本も出版されるだろう。そしてこの話は、かつての民主党の年金破綻論、抜本改革論と違って、盛り上がっても誰かに迷惑をかけるようなものではない。にぎやかにやって、本や雑誌が売れれば経済にもプラスに働くし、彼ら学生新聞の特集も1回稼げている。しかも論者を社会保障という重要で大きな問題にかかわった気分にもさせてくれるわけで、これだけ魅力満載な話題はなかなかない。そしてこの国のメディアは、昨年10月に行われた総選挙の最中の「AIからBIへ」というある党のスローガンを、まったく相手にしない程度の見識は持っているようでもあるし。
AIが仕事を奪うかどうかという未来の話は定かではないが(筆者記事『AIで本当に人間の仕事はなくなるのか?』参照)、AIの進化は国民を二分し、結果、格差が広がって、総需要に悪影響をあたえ、分配面から経済運営の障害になることは起こりそうである。
そうした事態に直面するときこそ、中間層を意識的に育て、彼らの生活を守るための社会保障制度の役割が今よりも重要になるのであるが、言うまでもなく、社会保障政策の趨勢は国の財源調達力に依存する。しかしこの国は、負担増を嫌い続けて、結果、再分配による格差縮小も実現できず、縮小均衡に向かうのか。はたしてどうなることやら。
そうしたタフでしんどい話題よりも、ベーシックインカムの議論のほうがはるかに愉快であり、世の中を明るくし、出版業界、そして不思議とアカデミズムにも活気を与えてくれる――だから、「がんばれ、ベーシックインカム!」と言いたくなる。
もっとも、ベーシックインカムの議論が社会保障政策に影響を与えることはないものの、ベーシックインカムを好む先生から、社会保障を仮想敵と見なすような、実態以上に社会保障をヒール役に仕立てた話を授業で聞かされる学生たちはちょっとかわいそうではある。いや、これでは、社会保障そのものもかわいそうだから、これからも、こうして時々助けに行くことにはなるだろうと思う。
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