がんばれ!? 元気の出るベーシックインカム 議論には社会保障の正確な理解が欠かせない

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先ほど、公的扶助の中で医療扶助が半分弱を占める事実を示したが、個々人が使っている医療費は千差万別であり、仮に医療費が月額100万円かかっている人に、10万円しか給付しないとすれば、①の条件を満たさなくなる。そうした側面や、支給額はさまざまな要因で異なるという制度の細部には目をつぶって、生活扶助や医療扶助、住宅扶助などを足し合わせた生活保護給付額の平均値を出すと、1人当たり給付額は月に13万円ほど。

この額を、②の給付対象の条件を満たすように1億2700万人に配れば、およそ年間198兆円(2015年度社会保障給付費は約114兆円)が必要になる。もしこの額を下回った場合は、生活保護の受給者の誰かが生活できなくなっている。さらに、毎月定額の現金給付では保険としての役割が吹っ飛んでしまい、リスクに直面して支出が膨張する人たちは、貧困に陥るだろう。

ベーシックインカムの話で面白いのは、条件①、②を満たす給付をベーシックインカムと呼び、その制度のメリットをいくつもリストアップした後には、その実現可能性があまりに怪しいため、①、②の条件を緩めた議論がされるところであろうか。

あちらを立てればこちらが立たず

では、条件①のハードルを下げて給付額を低くしてみるとどうなるか。これは、高所得、高資産家にも給付する条件②を満たすために、生活保護受給者に最低生活を保障しませんと言っているようなものである。そのためには、憲法25条を捨てる必要が出てくるだろうし、ベーシックインカムの議論は、そうした覚悟のうえでの議論をしているのだろうと推察している。いやそうではなく、生活できない人には追加的な給付をする、となれば、ミーンズテストがなくなるメリットは消える。生活できないならば働けばいいではないかとなれば、労働からの解放というメリットもなくなる。

社会保障の目的は生活リスクに備える保険であり、自立支援、社会参加への支援である。この点について誤解があるから、社会保障を、「捨てぶち」のように毎月定額の現金を与えておけば済むという感じのベーシックインカムに置き換えようと言う人が出てくるのだろう。

ピケティの師匠筋で、所得分配問題、貧困研究に生涯をささげてこの世界のトップ研究者になり、昨年に亡くなったアンソニー・アトキンソンは、次のようなことを言っている。

平均的な家族に設定される保障所得の額が平均所得額のx%であり、また、所得扶助以外の目的で賦課される所得税率が現在y%に設定されているならば、所得税率の平均はx+yになる。

ここで注意してもらいたいことは、生活水準は相対的なものだということである。しばしば、生産性が上がればベーシックインカムは実現可能であるかのように論じる者もいるのだが、生産性が上がれば、標準的な生活水準も上がる。ゆえにアトキンソンは、ベーシックインカムの水準を平均所得額のx%と表現しているのである。

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