地方出身者が作った80年代のキラキラ日本 橘玲×湯山玲子「95年が時代の区切りだった」
湯山:でも橘さんご自身は、早稲田の露文で、そのきっかけはドストエフスキーだし、いわゆる当時の心情的左翼な文化系エリートの王道ですよね。
橘:というか、大学には左翼しかいなかったですから。そもそも右の人たちって会ったことありません。いるのは左翼とスピリチュアル(笑)。インドに行った友達とか結構います。
1995年までは長い80年代
湯山:本に書いてらした青山正明さんや村崎百郎さんとはちょっと交流がありました。90年代の話になりますが、当時私はもう「ぴあ」を辞めて、フリーの編集者、ライターになって、『SWITCH』や『スタジオ・ボイス』周辺で仕事をしていたので、必然的につながりができた。
橘:青山さんも村崎さんもあれだけ才能があったのに亡くなられてしまいましたね。
湯山:村崎百郎さんは「鬼畜」という触れ込みで世の中を攪乱しましたが、当時はそれも文化の中で、風穴を開ける一種のパロディでした。「WAHAHA本舗」は、テレビタレントをたくさん輩出していますが、際どいネタを当時は舞台でやっていた。世の中にある良きこと、きれい事の欺瞞だったりをあえて笑うというスタンスだった。今では考えられないですよね。言うことすらダメだっていうような厳然たるポリティカル・コレクトネス。そういうのがまだ最後にあった時代だと思いますね。
橘:世の中のいろんなところに敷居があって、だからこそ大人が眉をひそめるような遊びも許された。今はSNSでどんどん情報が広がっちゃうから。
湯山:絶対ダメですよね。もっとすごいのが、大学で教えてる学生と話してると、そういうことを考えること自体も罪だと思ってる。共謀罪って、こういった風潮に沿ってきているんじゃないかと、ちょっとぞっとした。80年代を皮切りに文化も含めて資本主義が爛熟していったときに、結局そこに横殴りに来たのがネットだったような気がするんです。ボードリヤールがかつて指摘した「透き通った悪」は、もはや可視的で、ネットによって凶暴化し、目の前に「ウソでしょ!?」というような言説や現実になって現れてくるこの怖さ。だから今の日本の精神状態や文化的な成熟度って、80年代より前に戻ってしまってる感じがするんですけどね。
橘:今回、『80’s』というタイトルにしたのは、僕の中では1995年にはっきりとした切断線があるからです。1つはオウム真理教事件で、もう1つはWindows95のインターネット。70年代末のポストモダンから1995年のスピリチュアルの崩壊までが「長い80年代」になってるんです。そこに1つの時代の区切りがあるんじゃないかな。
(第3回に続く)
(構成:中島 晴矢)
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