貝印が使い捨てカミソリで首位を守れる秘密

替刃モデルでは外資が席巻だが品揃えで勝負

当時、貝印グループにはメーカー機能を担う子会社が多かった中で、終戦後の1947年、名古屋にカミソリや刃物類の卸を手掛け、現在の貝印の前身となるフェザー商会を設立。貝印は生産・販売両機能を備えた刃物の総合企業として地盤を固めることになる。

1951年、銭湯などに置かれていた「軽便カミソリ」(使い捨てカミソリ)に着目した2代目斉治朗氏は、この製品に初めて「貝印」の名前を付けて販売を開始した。海外進出もこの時期から本格化する。当時、日本の刃物産業は海外企業からのOEM生産も多く、もとより輸出は行っていたのだが、2代目はそれだけでなく、社内に貿易部を設け、自社ブランド「貝印」の売り込みに先鞭をつけていた。

1956年、初めて海を渡った貝印製品はラシャ切鋏(裁ちばさみ)で香港向けだった。ちなみに同時期には、2代目が開発した「ナイフ付き爪切り」を南米ベネズエラに輸出、現地で好評を博したというから、グローバルな視点での経営は当時から始まっていたことがわかる。

時代も貝印を後押しした。高度経済成長期の日本において、ダイエーなどの大型量販店、GMSの発展は目覚ましかった。刃物を中心に生産、販売していた貝印だが、広い店内で幅広い品ぞろえが必要な量販店の求めに応じる形で、刃物からその先の台所用品など周辺商品の提案も増えていき、品ぞろえを急速に増やしていくことになった。

外資メーカーの進出が逆風に

日本の経済発展とともに大きくなり、身近な刃物のメーカーとしての地位を固めていた貝印。現代表の遠藤宏治氏は現在の「KAI」マーク導入などの社内の下積みを経て、1989年から3代目として新生KAIグループを率いるのだが、その前途は順風満帆というわけではなかった。

3代目となる、遠藤宏治現社長(写真:貝印)

これまで二人三脚で、歩みを進めてきた大型量販店などの小売業が、バブル崩壊により失速。貝印にとっては価格破壊の弊害が目立つ形になった。単価・売り上げ共に上がらず、宏治氏が社長就任当初は売り上げ横ばいの状態が続き、収益性も厳しい状態に陥っていた。

また、看板であるカミソリ事業の未来も明るいとは言えなかった。日本国内ではジレット、シックなどの外資製品がシェアを拡大。貝印は使い捨てカミソリを主に手がけており、他の国内替刃メーカーと比較すれば、影響は小さかったが、外資の脅威を否が応でも意識せざるをえない状況であることには変わりはなかった。

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