風俗で18年働く「早稲田卒」41歳母の深い苦悩 息子の学費捻出のため、休みは1日もない

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大学1年からアルバイトを始めた。自宅近くのパチンコ店の時給が高く、カウンター業務のパチンコ店員になった。

「旦那は同じパチンコ屋の店員。同僚ですね。お互い好きになって、彼に告白されて付き合った。すぐに妊娠、産むことにした。機能不全家庭で育ったから新しい家族が欲しかった。それで、20歳のときに親に黙って結婚して出産した。それと、その頃に文学に興味が出てきて早稲田大学に入り直した。子どもがいるからってやりたいことを諦めたくなかったんです」

夫のパチンコ店での収入と、実家からの仕送りで生活しようとしたが、夫は出産早々に仕事を辞めてしまった。コンビニ、派遣など、新しい仕事を見つけてもすぐに辞めてしまう。仕事がまったく続かなかった。

「帝王切開で産んで、1週間入院して帰った。最初のお給料日に『いくらか入った?』って聞いたら、仕事に行ってないって、ゲーセンで遊んでいたって。こっちは大変なときに、怒るじゃないですか。そしたら逆ギレして殴られた。DVが始まりました。旦那は最終的にパチプロになる、みたいなことを言って本当に働かなくなった」

実家からの仕送りだけでギリギリの生活となった。育児は大変で夫は働かない、DVも日々激しくなって大学もある。精神的に負担がかかった。

「それでも好きだったので別れたくなかった。お嬢様で育って、そういうメチャクチャな人に初めて会った。底辺というか。だんだん心を病んで、不眠とか無気力状態みたいなのが続いて、初めて精神科医にかかりました。子どもも虐待されていた。児童相談所に相談に行ったら、大学を辞めて子どもを守れと言われて、大学は辞めたくなかったので無視していたら緊急措置になりました。息子は2歳のときに乳児院に保護されて、3歳からは児童養護施設に送られました」

結局、結婚3年目の24歳、息子が3歳のときに離婚。父親と実家の祖母に出産と結婚、そして離婚を伝えた。児童養護施設にいた息子は、父親が引き取った。

歌舞伎町のピンサロに応募した

離婚して仕送りを止められた。大学もまだ2年残っていて、時間も限られてくる。時給の高い風俗で働こうと思った。自分が華やかなソープやヘルスに採用されるとは思わなかったので、ハードルの低そうなピンサロに応募した。歌舞伎町の店だった。

「今、女の子募集しています?と聞いて、その日からピンサロ嬢です。ピンサロでは稼げた。稼げたといっても月40万円ぐらい。性的サービスが苦痛じゃないこともあって、いい仕事を見つけたくらいの感覚でした」

風俗はすぐに成果が返る出来高制の仕事で、男性から必要とされることにやりがいを感じてしまう女性は多い。

「機能不全家庭で育ったのと離婚もあって、とにかく私を必要としてほしい、愛してほしいというのがあった。指名が増えると、やっぱり承認欲求が満たされる。ハマってしまいました。ピンサロで4年間働いてその次は吉原で8年、鶯谷で6年目です。就職活動しないで大学卒業して、そのまま風俗を続けた。30歳手前になって現実に気づいた。もう、取り返しがつかなくなっていました」

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