謎多き千葉「切られ踏切」の由来を調べてみた 珍名踏切マニアがいく

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市役所を回ってたどり着いた大貫駅。踏切の最寄り駅はひとつ北隣の青堀駅(写真:AERA dot.)

富津市役所が近くにあるので、行ってみることにした。これから大貫駅へ出るつもりだったので、ついでである。踏切からは2.3キロの道のりだが、例によって歩いている人はほとんどいない。3月末だが午前中から初夏のような日差しで汗ばむ陽気である。市役所に図書館が併設されているわけではないが、ロビーには富津市史が置いてあってなかなか気が利いているではないか。これをパラパラ見たが、切られ踏切とか刑場に関連する言及は見当たらない。

5階の教育委員会へ行ってみた。ネットが普及する以前は、よく市町村の役場に地名について電話で質問したものだが、必ず教育委員会に回されたからである。昔は「その地区に詳しい人は誰々で、電話番号は……」と親切に教えてくれたものだが、個人情報保護が徹底された今では考えられない。思えばのどかな時代だった。それでも対応してくれた職員の方は「私も気になって調べたことがあるんですよ」とのことで、あの場所には飯野藩の刑場があったと明言してくれた。

以前にJR方面にも問い合わせて踏切名決定の経緯を調べてみたが結局わからなかったという。そもそも旧国鉄が踏切に固有名詞を付け始めたのは相当古くからのようで、私もその命名基準など知りたい気持ちは常に持っているが、踏切設置に関しては国鉄本社ではなく管理局の仕事だそうだ。ある旧国鉄関係者によれば、それらの文書はすでに「事案終了をもって廃棄」された可能性が高いという。踏切が設置されたと思われる大正4(1915)年はもう100年以上も昔の話である。

藩庁の近くに刑場があった

飯野藩について私はまったく無知で、数ある千葉県の小藩のひとつとして聞いたことがある程度だ。この藩は上総国周淮(すす・すえ)郡と隣の望陀(もうだ)郡を中心とする村を領地とし、遠く摂津国の4郡にも飛び地があった。

今回紹介した踏切周辺の地図(写真:AERA dot.)

1万7千石という小藩ながらその藩庁のあった飯野陣屋(下飯野)は「日本三大陣屋」のひとつに数えられるほど巨大で、四周を巡る濠は現存しており、地形図にもしっかり描かれている。切られ踏切はこの陣屋から西へちょうど900メートルほどと近く、藩庁の近くに刑場があったというのは納得できる。

ネットで調べてみると、さすがこれだけインパクトの強い踏切名だけあって、何人かが取り上げていた。お決まりの心霊スポット扱いもされていたが、「ノコノコ踏切日記」には歌舞伎の「切られ与三郎」に関連があるのでは、という書き込みがある。私と同じように踏切を訪ねて回っている物好きな人がいるのは嬉しくなるが、それはともかく、この物語では与三郎がお富さんに初めて出会うのが木更津の浜だそうだ。飯野藩庁よりは遠いものの、木更津といえば青堀から2駅だから意外に近所の話ではないか。さて刑場跡地に踏切を設置する段になって、当時の歌舞伎マニアの鉄道院職員が、「刑場踏切」のような露骨なのじゃなくて、与三郎にちなんで「切られ踏切」はどうだと提案……。そんな妄想もあながち外れていないのではないだろうか。

今尾恵介(いまお・けいすけ)/1959年神奈川県生まれ。地図研究家。明治大学文学部中退。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。音楽出版社勤務を経て、1991年より執筆業を開始。地図や地形図の著作を主に手がけるほか、地名や鉄道にも造詣が深い。主な著書に、『地図で読む戦争の時代』『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』(白水社)、『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)など多数。現在(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査
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