謎多き千葉「切られ踏切」の由来を調べてみた 珍名踏切マニアがいく

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大貫駅を発車する木更津行きの電車。千葉市の通勤圏でもある(写真:AERA dot.)

富津中入口で下車。走り去ったバスを見送り、富津中学校の方へ歩く。

最初に渡った「第二青木踏切」は、大字の地名をそのまま使ったオーソドックスなものだった。踏切の札によればここは起点の蘇我駅から数えて75番目、距離は42キロ989メートル地点。幅員は6.6メートルだ。渡ってすぐ左へ折れて青木の集落東端を古い細道でたどっていくと、ほどなく次の踏切が見えてきた。近づいてみれば、なるほど事前情報の通り「切られ踏切道」の堂々たる看板がかかっているではないか。先ほどは第二青木「踏切」だったのに、今回は「道」が付いているのはなぜだろう(法律用語としては「踏切道」で正しいのだが)。その下には起点から76番目で蘇我駅起点43キロ355メートル。幅員は5.5メートルと少し狭い。もちろん「切られ」に関する由来を記した説明板もない。

刑場があった

誰かに話を聞くため、さっそく青木の集落の方へ戻ってみた。ちょうど軽トラックを降りて畑へ入っていった爺さんがいたので、呼び止めて尋ねてみる。70代前半と思いきや、80歳を超えているという。

「切られ、って珍しい踏切ですよね。何か由来をご存じですか」

「近くにお仕置き場っていうのかな。刑場があったとは聞いてるけど。詳しくは知らねーな。あんた何調べてんの?」

「珍しい踏切の名前を……」

「へえ、いい身分だねえ」

「そういえば、いい身分です」

「お供したいぐらいだよ。ははは」

「あの家なら知ってんじゃねえの」と教えてくれた家を訪ねてみた。当惑顔の若奥さんが奥に入って連れてきたおじさんも当惑し戸惑った雰囲気で、

「子供の頃から聞いている話では、刑場があったそうですよ。あのあたりは鬱蒼としていて寂しい所でした。刑場だったのは江戸時代だろうけど。具体的には知りません。踏切の手前も向こう側もウチの土地だったんですけど、線路ができた時に切られて……」

それで「切られ」なのかと尋ねたが一笑に付されてしまった。そんな駄洒落じゃあるまいし。他にももう1人聞いてみたが、昔あった刑場にちなむという点では一致している。ひょっとして小字の地名ではありませんか、と問えば全員が否定した。それにしても「元刑場踏切」「刑場跡踏切」とか「仕置場踏切」というならまだしも、「切られ」というのは尋常ではない。受動態になっていることから見れば、住民は切(斬)られた罪人の側に立っているようにも思える。処罰する側からすれば「斬首踏切」(首とは限らないが……)といった発想になりそうなものだ。

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