チャーチルお気に入り有能女性スパイの正体 イギリスの公文書から読み解く歴史秘話

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このときの現金受け渡しの様子を、国内の情報活動を担当するMI5が撮影し、記録に残していた。受け渡しがうまくいかず、「すれ違い」になりそうなスリルがいっぱいの過程も報告書として残ってる。男性の顔および全身の写真もファイルに入っている。

戦時中のある日本人の記録が、こんな形で詳細に英国の公文書館には残っていることに筆者は驚きを覚えた。写真や資料を何度も見たり、読み返したりしてしまった。テートとお金の引き渡しの逸話は『英国公文書の世界史』に詳細に書いた。

チャーチルお気に入りの女性スパイ

本には未収録となったが、ある女性スパイの話を紹介したい。

1940年、英政府は「特殊部隊作戦執行部」(Special Operative Executive=SOE)を設置した。ドイツの占領下にある欧州全体で偵察、妨害、調査を行うためである。終戦数カ月後の1946年1月まで、約1万3000人が連合国側勝利のために隠密活動に従事した。このうち、3200人が女性だった。

SOEの女性工作員の中で時の宰相ウィンストン・チャーチルの「お気に入り」として、その活躍が高く評価された一人がクリスティーン・グランビルであった。

グランビルはマリア・クリスチーナ・ジャニナ・スカーベックとして、1908年、ポーランド・ワルシャワで生まれた。スカーベック伯爵夫妻の娘で、裕福なユダヤ人家庭の出身であった。一家は1920年代に財政破綻に近い状態となり、グランビルは一時車の販売店で働いたこともあった。

1930年に実業家と結婚したが、間もなく離婚し、8年後、今度は元作家で後に外交官となる男性と結婚。1939年9月、夫がエチオピアに外交官として赴任すると同時にドイツ・ナチスがポーランドに侵攻。夫妻はロンドンに身を寄せた。

グランビルは、ナチスが自国ポーランドと英国にとって共通の敵となったと感じ、英国に貢献したいと思うようになった。知人のジャーナリストの紹介で、英秘密情報部(通称「MI6」)に紹介された。

それからの活躍は目覚ましかった。

ドイツとソ連の2カ国に分割されたポーランドや枢軸国側についたハンガリーの国境まで何度も足を運び、独ソ不可侵条約を結んでいたにもかかわらずドイツがソ連への攻撃順を開始しているという情報を連合国側にもたらし、ドイツの支配に抵抗する活動家などに資金を渡した。枢軸国側の警備隊に拘束されたこともあったが、策を抗して逃げ切った。

1941年1月、同じくポーランド人のスパイ、アンドリュー・ケネディとゲシュタポ(ドイツの秘密警察)に捕まったことがあった。グランビルは肺結核を患っているふりをするために、舌を噛み、口から出血した様子を見せた。感染を恐れたゲシュタポから解放されることに成功した。

1944年8月、連合軍が戦時中を通じてナチスの政権下にあったフランス南部に進軍してきた(「ドラグーン作戦」)。SOEの上級工作員フランシス・カマエーは連合軍が進軍しやすいように道を開けておく作業に従事していた。

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