暴言・マジギレ上等、高学歴モンスターの正体 豊田真由子元議員を例に、精神構造を分析

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豊田氏は、約3カ月の入院を経て、9月18日に謝罪会見を開いた。その後、衆議院が解散され、10月6日に「志を断ち切りがたく、もしチャンスをいただけるなら、地域、国のために働きたい」と衆院選への出馬を正式に表明した。

地元の支援者から「もう一回頑張れと励ましの声をいただいた」ということだが、自民党を離党していたので、無所属での出馬になった。しかも、自民党が公認候補を擁立したため、厳しい選挙戦になり、落選した。

これは、予想どおりの結果である。秘書への暴言と暴行だけでなく、園遊会での騒動や数多くの秘書の退職なども報道されて、豊田氏の評判は地に落ちたと言っても過言ではない。たとえ優秀でも、こういう人物が国会議員を続けるのはいかがなものかという声も少なくなかった。したがって、解散総選挙での当選の可能性は限りなくゼロに近いというのが大方の見方だったのではないか。

それでも豊田氏が立候補したのは、良く言えば、どんなに厳しい状況でも、くじけず、へこたれず、挑戦して戦うという姿勢の表れだろう。だが、悪く言えば、状況判断が甘いということになる。

このような状況判断の甘さも、高学歴エリートにときどき認められる。「あんなに優秀で、経歴も立派なのに、なぜ状況判断が甘いのか」と驚くことも少なくない。これは、2つの理由によると考えられる。

まず、過去の成功体験があるだけに、「今度もうまくいくはず」と楽観的に考えてしまうことが大きい。また、しばしば自分自身の能力を過大評価しており、「自分は何でもできるはず」と万能感を抱いていることにもよるだろう。

いずれにせよ、自分で自分が見えなくなる。その結果、過酷な現実に直面して、自己愛の深刻な傷つきに見舞われることも少なくない。それでも、現実否認と自己正当化を続け、周囲の失笑を買うことさえある。

自覚の欠如

『文藝春秋』に掲載された豊田氏の告白を読むと、徹頭徹尾「政策秘書にとんでもないミスを連発されて、こんな結果になってしまった。私は悪くない」と自己正当化している印象を受ける。

これは、自分自身の言動が相手を激しく傷つけたという自覚がないからではないか。豊田氏は、自分のほうこそ“被害者”だと主張したいのではないかと勘繰らずにはいられない。

こうした自覚の欠如は、少なくとも2つの面で認められる。「衝動コントロールの未熟さ」と「精神的な幼児性」である。

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