日本は、「無能な経営者」から改革するべきだ アトキンソン氏「働き方改革よりも急務」
働き方改革は、その目的を実現するための「道具」の整備にほかなりません。つまり、政府は経営者にさまざまな道具を提供しようとしているのです。
もちろん、働き方改革という道具の整備も大切です。しかし私は、経営者がその道具を「生産性向上」という目的どおりに使うように、彼らをどう動機づけるかのほうが、よほど重要だと考えています。「道具」より「動機」のほうが重要なのです。
要するに、生産性を上げるための道具を用意しますよ、と政府が言っても、それを使うべき経営者に生産性を上げるつもりがなければ、無駄に終わるということです。まず生産性を上げる動機を与えることが重要であり、それができてはじめてその道具が使われ、結果が出るのです。
女性活躍の促進についても同様です。たしかに、旦那さんが家事に協力してくれなかったり、子どもの面倒を見てくれる保育所がなかったりと、女性が活躍しやすい環境が整わなければ、女性の活躍をすすめるのが難しいのは事実です。
しかし、それらの環境が整備されたとしても、企業が女性にも男性と同じ仕事を任せようとしなければ、女性の活躍を真に実現することはできません(もちろん、女性自身に男性と同じ仕事をする意欲がなくても同様です)。
となると、これまでいくら言っても頑として動こうとしてこなかった日本の経営者をどう動かすかという方法論が重要なのですが、日本では経営者をどう動かすかという動機づけの議論が、すっぽりと抜け落ちてしまう傾向があるのです。
動機づけの議論が抜け落ちているのは、安倍政権の経済政策・アベノミクスも同様です。制度だけをつくり、それをどう機能させるかまで考えられていない政策が多いのです。アベノミクスの効果が実感できない、うまく機能しないと言われるのは、政策の善しあしの問題ではなく、その政策を生かす動機づけの欠如に問題があるのです。
日本の経営者は「奇跡的な無能」
私は、日本がこの二十数年間、経済成長で他国に置いてきぼりをくらい、ついには生産性が先進国最低になるまで落ち込んでしまった責任のすべてが、奇跡的とも言えるほど無能な日本の経営者にあると考えています。
人口が横ばいに変わった1990年代から、GDPを成長させるために生産性の向上が不可欠だったのにもかかわらず、日本の無能な経営者たちは付加価値の向上には目もくれず、「高品質・低価格」という妄言の下で価格破壊に走りました。
そして、価格を引き下げるために社員の所得を減らすという暴挙に手を染める一方、企業としての利益を着々と貯め込んだのです。利益は増えているのにGDPが増えていないということは、経営者は社員の給料を削って利益を増やしたということです。その一部は外資系投資家に渡っていることを考えると、文字どおりの「売国行為」と言えるでしょう。
経営戦略としてこれ以上悪質なものはなく、その結果、日本経済をデフレという底なし沼に引きずり込んでしまったのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら