シリア危機から7年、まだ終わらない悲しみ 日本からは一体何ができるか

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:細かな、一人ひとりのニーズに合った支援が必要になってきているということですが、具体的にはどういうケースがありますか?

小田:たとえば、医療やお薬の問題では、これまでは一様に車いすをお渡ししていました。しかし、足の不自由な方だけではなくて、視覚障害のある方、聴覚障害のある方。それに糖尿病、腎臓病などいろんな病気の方もいます。それぞれの医療機関に行くにしても医薬品にしても、まったく違いますので、そういうところのバックアップをしています。私たちのシリア人のスタッフが街に出て家庭訪問を行ってシリアの方の話を聞き、そこから汲み取って何ができるかを考えています。

シリア・ダマスカスの自宅で頭に砲撃を受け、その後遺症で左半身がマヒしてしまったオマルさん。現在は妻と一緒にトルコ南東部の街・シャンルウルファで暮らしています。AAR Japanから杖や歩行を補助するブーツを提供してもらい、リハビリを続けています。帰れないとわかっていても、シリアに戻り、ケガをする前の生活を取り戻したいと願っています(写真:AAR Japan[難民を助ける会])

:本来であれば、難民の皆さんも支援が落ち着いて、本国に戻れるようにサポートしていくことになると思うのですが、今は戻れるような状況ではないですよね。

小田:そうですね。トルコ政府も、トルコの中でどのように受け入れていくかと考えていますが、受け入れるといっても約350万人いると言われているシリア難民を全員受け入れるのは難しい。しかし、現実的にシリア国内の治安や状況が収まらないと安心して住める、帰れる国はできません。

故郷シリア・アレッポでの砲撃で右足を失ったレザーンちゃん(5歳)。同じ砲撃で当時2歳だった弟も失いました。現在は両親と妹と一緒にトルコ南東部の街・シャンルウルファで暮らしています。レザーンちゃんのように戦闘に巻き込まれ体が不自由になった人が多くいます(写真:AAR Japan[難民を助ける会])

シリア難民の方たちも先々を考えると本当に不安だと思います。しかし、トルコ国内でのシリアに対する関心も一時期に比べると低くなっています。それだけ、シリア難民とのトラブルも起きなくなってきているということもありますが。お腹がすいたらパンを分け与えてあげるというような、市民が手助けしてあげられる問題ではなくなってきているので、難民の人たちがいまだに大変な生活をしている、先々の不安を感じながら暮らしているということをもう一度再認識し、忘れないでいてほしいと思います。

日本からできることとは?

:日本からはいったい何ができるでしょうか? 国ができること、市民ができることを教えてください。

アドリー:市民としては、やはり知るということから始めてほしいです。自分が遠くて安全な場所にいても他の国のことを忘れるべきではないと思います。国際ニュースを見るともう少し理解することができると思うので、自分で調べて自分で見て知ったうえで、そこで一人ひとりがどんなことができるかを自分で判断して決めてほしいです。国としては、シリア人留学生の受け入れを、もう少し人数を増やし、その条件も広げてほしいです。優秀な人でもその条件に当てはまらないケースもたくさんあるので、今だからこそもう少し条件を易しくしたほうが来てくれる学生も増えると思います。

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