石巻の缶詰メーカー、どん底からの超復活劇 震災支援の縁を活かし過去最高業績上げる

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また、缶詰を使った料理を「木の屋の缶詰ごはん」としても発信する。こちらはフードスタイリストとして、テレビ・映画・出版などで活躍する飯島奈美氏がメニューを考案した。

たとえばパーティー用メニューで「小女子(こうなご)と大根のサラダ」「まぐろの尾肉のバゲットピザ」「いわしみそ煮とブロッコリーの巣ごもりエッグ」などを紹介。いつものごはん用には、「鯨の大和煮あんの卵焼き」「さば缶ごはんの手巻き寿司」といった料理のほか、春の「お弁当」メニューも訴求した。同社の公式サイトで見ることができる。

「3.11」で壊滅的な被害を受けた

明るい話題の多い木の屋だが、実は、7年前の「あの日」から苦闘の時期が続いた。

2011年3月11日の東日本大震災発生後に到達した大津波により、石巻市では多くの尊い命が犠牲となった。市内は孤立し、その後数日間、被災者は各地の建物で雨露や寒さ、空腹をしのいだ。石巻港近くの木の屋の缶詰工場も津波で流失し、流れてきた同社の缶詰を拾って食べ、当面の空腹を満たした被災者もいたという。缶詰ゆえ、外見は汚れても中身の品質には問題がない。救援物資の食料が届けられるまで「命の缶詰」となったのだ。

地震と津波で壊滅的な被害を受けた(写真:木の屋石巻水産)

その後、ようやく水が引き、同社の従業員が工場のガレキを片づけ始めると、泥水の下に大量の缶詰があることに気づく。「当時の工場在庫は約100万缶あり、残った缶を掘り出すことから自社の業務を再開しました」(木村氏)。石巻では水道も電気も復旧していなかったが、いち早く取引先が動く。東京・世田谷区経堂のイベント居酒屋「さばのゆ」が、「泥つきでいいから缶詰を送ってほしい」と手を差し伸べたのだ。やがて石巻から缶詰が届くと、ボランティアの人たちが手洗いし、1000円の義援金につき3缶をお返しとして渡した。

この活動がテレビで報じられると、さらに支援の輪が広がる。北海道から沖縄まで全国の人たちが次々に同社工場を訪れて、ボランティアで缶詰を拾い、洗ってくれたのだ。さらに紹介を受けて、木の屋の従業員が千葉県や鳥取県などの「道の駅」に出向き、訪問客に販売した。いつしか「希望の缶詰」と呼ばれた商品は25万缶が支援者の手に渡ったという。

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