(最終回)D・マッカーサーと戦後日本

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●一億総「12歳」化

 さてそこで問題なのは、「コーンパイプの魔のけむり」の半世紀後の精神的な効き目である。

 「ぼくらを 酔わせ 眠らせた」魔のけむりから、「まだ醒めないのか」と阿久悠は、苛立たしげに呟く。まだ醒めきらずにいる日本人は、一億総「12歳」化という、マッカーサーの邪悪な意図を、半世紀かけて骨絡み実現してしまったと言えないだろうか。

 バブル経済も郵政民営化も、「魔のけむり」による催眠効果の持続なくしてはあり得なかった。投機的マネーゲームによる、物づくりの伝統の破壊、世界に誇れる郵便、保険制度の解体によるアメリカへの資金流出、日本の政治家はマインド・コントロールされた12歳の少年のようにアメリカになびいた。

 「コーンパイプの魔のけむり」が、ボディブローのようにきいてきた時--それはまた、アメリカという名の巨大な幼児が、日本の精神文化の隅々にまで浸透し、「大人になりたくない子どもたちの天国」、ネバーランドが、この島国の社会全体を被いつくしてしまった時でもあったのだ。

 むろん、いまさらマッカーサーを恨んでみても始まりはしない。だが、どうしたって国民の精神年齢が12歳では、お先真っ暗というものではないか。
魔のけむり 魔のけむり
まだ醒めないのか
魔のけむり
(「コーンパイプの魔のけむり」最終節)
 これもまた、阿久悠が私たちの時代に残した、究極の「遺言」であろう。

●もうひとつの『また逢う日まで』

 どうやら私たちは、魔のけむりを胸深く吸い込んだまま、「自分だけを語って」飽きない、平成の歌に酔っている場合ではなさそうである。

 「私の時代」から「私を超えた時代」への想像力を、どうにかして養えないものか。

 たしかに時代環境は楽観を許さない。ネット上に氾濫する怪しげなハンドルネーム。バーチャルな空間に漂う、匿名の「私」たちは、12歳の壁を克服できぬまま、時に饒舌に「私」を語り、時にネット上で他者の抹殺を企て、黙り込んだと思いきや、いきなり突拍子もない行動に出たりもする。「私の時代」のひとつの帰結である。

 だが、そうした「私」たちを排除して健全な社会秩序が回復できるなどという話ではまったくない。ただ「魔のけむり」は、隔世遺伝的に純粋戦後世代をも蝕み、「ヘッドフォンで聴く点滴のような音楽」(阿久悠)は、言葉の弱体化に拍車をかけている。誰が悪いわけでもないのだ。

 では、どうすればよいのか。

 やはり私たちは、昭和の戦争の子の「戦後」を、別のやり方でたどり直し、60年後の現在を新たに生き直すしかないのだ。今をもし、次なる戦争のための「戦前」にしたくないならばだ。

 その時、『また逢う日まで』というヒット曲に、阿久悠が仕掛けた謎は、はじめて解き明かされることになるだろう。

 尾崎紀世彦がヒットさせたこの阿久悠の代表作は、1950年の映画のタイトルの"いただき"だった。今井正監督、岡田英治・久我美子主演のこの映画は、「ガラス越しの接吻」シーンで有名になった。
 時代は太平洋戦争末期。召集令状を受け取った主人公が、入営前にせめて一度だけでもと恋人に会おうとする。だが、その駅での待ち合わせに、彼は兄嫁の流産で行かれず、恋人はその場で空襲に合い爆死するのだ。それを知らずに出征する主人公。この悲劇的すれ違いが、敗戦から5年後に封切られた映画『また逢う日まで』の見せ場になっていた。

 それから21年後に、阿久悠が書いた同名タイトルの歌詞は、同棲カップルの斬新な"お別れソング"であった。そこに暗さを持ち込まないというのが、豊かな時代の『また逢う日まで』にこめた、昭和の戦争の子・阿久悠の想いであったのだ。

 時代はそれから、さらに三十数年を経過している。

 コーンパイプの魔のけむりから、真に醒めたあとに書かれる『また逢う日まで』は、どんな歌になっているだろう。私たちの「戦後」は、いずれそれを何らかの形で表現するはずだ。

 阿久悠はそれが、どのような「また逢う日まで」になっているか、新戦後世代の誰かによって書かれるであろうそのドラマを、ぜひとも確かめてみたかったのではなかったか。
高澤秀次(たかざわ・しゅうじ)
1952年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。文芸評論家
著書に『吉本隆明1945-2007』(インスクリプト)、『評伝中上健次』 (集英社)、『江藤淳-神話からの覚醒』(筑摩書房)、『戦後日本の 論点-山本七平の見た日本』(ちくま新書)など。『現代小説の方法』 (作品社)ほか中上健次に関する編著多数。 幻の処女作は『ビートたけしの過激発想の構造』(絶版)。
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