(第15回)阿久悠の日記活用術

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●幻の個人新聞『月刊 You』

 「日記」という極めて私的なメディアに「日記力」が備わるためには、「公」に通じる回路が、どこかに組み込まれていなければならない。

 この「私的メディア」への阿久悠のこだわりは、年若い30代の頃からあった。
 『月刊 You』という「個人新聞」を、彼は70年代半ばに発刊している。
 阿久悠の亡くなった2007年の暮れには、そのダイジェスト版『阿久悠 命の詩『月刊 You』とその時代~』が刊行された。『月刊 You』は1976年の発刊で、阿久悠が原稿執筆から企画編集まで一人でこなした幻の「個人新聞」だった。

 『瀬戸内少年野球団』の初出紙(2年間連載)でもある同紙について、彼はこう語っている。

 「ぼくは、四年間、YOUという個人新聞を出していた。いわば、活字になったサロンともいうべき物で、毎月のゲストとの対談の他にも、多くの、そして、異色の才能が参加してくれていた。(中略)その内容の充実度は今でも誇りに思っているし、事実、全くの個人発行の新聞でありながら、八千部近く印刷していたし、数千人の定期購読者もいた。(中略)YOUは、阿久悠の悠であり、コミュニケーションの対象としてのYOUであり、奇をてらえば、YOUNGからNG(no good)がなくなったものである」(『瀬戸内少年野球団』文春文庫版「あとがき」)

 たしかにこの「個人新聞」は、対談相手だけでも上村一夫、久世光彦、鴨下信一、都倉俊一、堤清二、横尾忠則といった超豪華メンバーが並ぶ、贅沢かつユニークなメディアだった。『阿久悠 命の詩』には、その第16号の表紙がカバーデザイン化され、右肩に阿久悠の顔写真と並んで、6行に書き分けられた「オレのセリフ」がこう綴(つづ)られている。
 

今日を生きる人間が
口にする明日は
希望だが
今日を生きない人間が
口にする明日は
逃避だ

 けだし名言である。
 しかもここには、私的メディアが「公」に開かれる回路が鮮やかに示されている。

 「今日を生きる」と「今日を生きない」の決定的違い--阿久悠の「日記」や「個人新聞」が、「今日を生きない」オタクたちの独善的なブログと区別されるのもそこなのだ。

 阿久悠という作詞家には、「今日」と「明日」は存在しても、「昨日」というものは存在していない。「今日を生きない人間」にとってのみ必要な「昨日」を、彼は断ち切ろうとするのだ。その不敵な人生観が、コンパクトなこの6行詩に圧縮されている。

 それは、阿久悠に固有の問題というより、明日なき戦中と混乱の戦後を生き抜いてきた、"皇国少年"の世代に特有のサバイバル哲学だったかもしれない。ただし、その危機感を逆手に取った、「今日」へのポジティブな構え、「明日」を呼び込むための危機管理的な「希望」の条件設定は、彼ならではのものであっただろうが。

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