13歳と15歳の日本人が見たフィリピンの現実 僕と私は取材で子どもたちの困難を知った

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服にみんなの名前を書いてもらって仲良くなることができました(写真:GARDEN編集部)

栁田:キティちゃんのようなかわらしい袋でシンナーを吸っている子もいて、それを見るとなんだか胸の奥がムズムズするような感覚になりました。どの子も笑顔が絶えず優しい子どもたちなのに、なぜシンナーを吸わないと空腹が消えない現状を背負わなくてはならないのでしょうか。そして、なぜ貧困でなくてはならないのでしょうか。僕はそんなストリートチルドレンとの壁を感じていたのですが、服にみんなの名前を書いてもらうという僕のアイデアを通して仲良くなることができました。

山邊:そのようにみんなで遊んでいる時、チャリンという小銭が落ちる音がしました。「何だろう」と私が思ったその時、今まで笑顔だった子どもたちがさっと目の色を変えて必死の形相でその音のほうへ走って行きました。峰雄くんが「リュックを背負わずに前に抱えるように」と指示されたことからもわかるように、子どもたちはつねに何かに飢えていて、私たちも何か盗まれる危険性があるということは明らかでした。

「路上のみんなとは信頼し合える友達にはなれないのかな」、そう思ったその時です。私の袖をある男の子が引っ張ってくれていました。私は虫除けを落としてしまっていたようで、それを拾ってくれていたのです。「ありがとう」という私の言葉にとてもうれしそうにしている彼のボロボロの歯を見ていると、「世界の格差」というものが悲しくなりました。

私は実際にフィリピンを訪れるまで「ストリートチルドレンの子どもたちはみんな暗い表情をしていて凶暴に違いない」と思っていました。しかし、どの子どもたちも本当にすてきな笑顔をしていました。このことから、私たちと同じ地球に住む、同じ感情を持った、同じ人間の子どもたちがこのような理不尽な貧困の状況に置かれているということをたくさんの人に伝えたいなと思いました。

路上で暮らすという選択肢が生まれる理由

栁田:そして、僕たちは近くにいたジョパイちゃんという女の子に取材をすることにしました。僕は取材をする前、「ストリートチルドレンの子たちはおカネがなくて路上に出ているのかな」と思っていました。しかし、ジョパイちゃんから「お父さんが亡くなってしまい、その悲しさから学校を辞めて1日中路上にいることを決めた」と聞いてとても驚きました。

僕たちには路上で暮らすという選択肢はありますか? 僕にはその選択肢はありません。ぜひ皆さんにも、その選択肢が簡単に生まれてしまう現状を知ってもらいたいです。ジョパイちゃんは「もしお父さんに会えたら何がしたいですか」という質問に、「ぎゅっと抱きしめたい」と答え、「あなたにとって家族とは何ですか」という質問には、「宝物」と答えていました。僕はその答えから、路上で暮らしていて家族に会えなくてもいちばん大切なのは家族だというところに、家族への愛を感じました。

山邊:ジョパイのお父さんとお母さんも、ストリートチルドレンとして国境なき子どもたち(KnK)の支援を受けていたそうです。ジョパイのお母さんは10代前半でジョパイを産んだと言います。それなら、ジョパイも後数年もしたら赤ちゃんを産むのかもしれません。そして、自分がそうさせられてきたように、その子どもにも物乞いをさせるのかもしれません。このようにしてストリートチルドレンの負の連鎖はずっと続いていきます。私は最終日にもジョパイの元を訪れました。その時ジョパイはゲームセンターのような集会場で家族とテレビに夢中になっていました。その場所では、3円でYouTubeが5分見られるという仕組みが取られているのです。私はその時、「そのおカネは食べ物なんかに使ったほうがいいのでは」と思いました。しかし、強盗に遭う可能性があるのでおカネを貯めるということはできないのです。

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