小学生が着る「標準服」の"標準"とは何なのか

かつては「洋装における標準」を指していた

その時代の教育内容や学校生活の問題に合わせ、学校が特定の服装を推奨することはあっても、家庭間の格差の問題があるかぎり、全員に強いられなかった。そういった状況の中で児童服の「標準」が示され、着用を強制しない「標準服」の慣例が生み出されてきたのだろう。

なぜ、学校が「洋服の標準」を示すようになったのか。その経緯の一端を探るため、小学校ではないものの、泰明小と同じく創立140年を超えるお茶の水女子大学の歴史を振り返ってみる。

同大の前身にあたる東京女子高等師範学校の附属高等女学校では、昭和5(1930)年に5種類の標準服が選定されている。なお、泰明小で標準服が定着したのは昭和45(1970)年とされている。

標準服というと、制服のように1つの型が示されるイメージがあるが、同校では「服装選択能力の育成」の観点から、1つに限定せず、自分に合った洋服を選ばせる教育的配慮がなされた。

学校側は服装自由を理想としていたが、家庭から「洋服の選択に迷う」という意見が寄せられ、基準を策定することになったというのが、標準服選定の経緯である。

だが、学校側の教育的な配慮は生徒には伝わらなかった。5つの選択肢を用意したにもかかわらず、2つの選択肢(セーラー服とジャンパ—スカート)に生徒の人気が集中したのである。特にセーラー服に人気があった。

結局、5種類の標準服はたった2年で見直され、昭和7(1932)年に2種類の制服(セーラー服とジャンパ—スカート)が制定された。生徒の嗜好を反映した結果、標準服が制服へと転換した興味深い事例だ。

大量生産が学生服を後押し

歴史的な経緯をみていくと、明治期以降に日本人が洋服を受容する過程で、「学校に着ていくべき洋服の標準」が必要になったことが、「標準服」が誕生した背景と考えられる。一部の例外を除き、公立小に通う生徒の家庭間には経済格差があったため、「制服」として着用を強制することはできなかった。和装の児童も多かった。

ところが大正末頃から安価な既製の学生服(男子の詰襟、女子のセーラー服など)が大量生産されるようになると、公立小にも洋服が浸透していくようになる。揃いの洋服、すなわち学生服という名の「標準服」を多くの児童が着るようになるのである。

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