明治元年「1868年」とは、どんな年だったのか

新旧が混在する不思議な年に起きたこと

この年の閏(うるう)4月、新聞に「200年後の世界を描いた書が翻訳刊行される」という記事が載りました。オランダの科学者、ピーター・ハーティング著のSF『紀元2065年 及び未来の瞥見(べっけん)』。訳したのは近藤真琴。蘭学塾を経営していました。

主人公は、見慣れない都市に立っています。高い塔の上には「紀元2065年1月1日」と書いてあります。

ネット社会を予言したようなくだりも

電信電話が発達し、地球上は十重、二十重にクモの巣のように「索(なわ)」がひかれています。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ……。どこの新聞でも、瞬く間に知ることができる……。こんなネット社会を予言したようなくだりもあります。

都市はガラスのドームで覆われ、冷暖房完備。複数の人工太陽でいつも街は明るい。石炭採掘量が減ったので「電化」しています。「旅の言葉」という万国共通語が使われ、戦争はなくなっています。軍人は舞台の上でしか見られません。

翻訳者の近藤が、各章末にコメントを書いていますが、軍備撤廃については「アジアの形勢に至っては、作者は洞察できないだろう」としています。翻訳者は著者より現実的です。ただ、この年にできていたSFの訳稿が刊行されるのは明治11(1878)年になります。

『1868 明治が始まった年への旅』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

1868年は、文芸はまだまだ夜明け前。夏目漱石(金之助)はこの年2歳。貧しい古道具屋に里子に出されていました。将来の文豪は、がらくたと一緒に、小さなザルに入れられて四谷の夜店にさらされていました。通りかかった姉が家に連れて帰りますが、金之助は泣き続け、父親は姉をしかりました。

鷗外(林太郎)は今の島根県津和野町に生まれ、この年7歳。上京するのは4年後です。明治屈指のベストセラー『不如帰』の著者、徳冨蘆花はこの年の10月に誕生。ドストエフスキー『罪と罰』を翻訳する内田魯庵はこの年、閏(うるう)4月に生まれました。

昭和43(1968)年、明治維新百周年の時、日本人は国をあげて、自分たちの祖先(多くは祖父母の時代)の幕末から明治にかけての活躍ぶりを、嬉々(きき)として振り返ったものでした。ところが、それから50年が経過してみると、今度の150周年はおもむきが前回とは大いに異なっていることに気がつきます。明治維新の過ちを書いた本がベストセラーになりました。日本人は素直に、過去を喜んでいません。

日本は、大きな曲がり角に差し掛かっています。明治維新の頃と同様、このままではいけないという状況です。日本の問題を解決するためには、今一度、150年前に起きたことを振り返っておくべきかもしれません。

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