明治元年「1868年」とは、どんな年だったのか 新旧が混在する不思議な年に起きたこと

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アメリカの南北戦争は明治元年の3年前に終わっています。海の向こうの戦争は1868年の日本にさまざまな影響を及ぼします。

南北戦争で米南部の綿花畑は荒れ果て、世界は「綿花飢饉(ききん)」に陥ります。代用の綿を求めたヨーロッパの紡績業界へ向け、中国やインドの綿が大量に輸出され、アジアでも有数な綿花栽培を誇っていた日本が注目されました。

流転の最強軍艦

一方で、南北戦争で改良された銃や火薬が、戦乱の日本に流入します。明治維新の牽引役となる薩摩藩をはじめとした国内の諸勢力は「綿を売って武器を買った」ことになります。

「明治初年の東京城」(出典:『遷都50年史』/国立国会図書館)

軍備の最大の目玉は南軍がフランスに発注した最強軍艦「ストーンウォール」でした。フランスから納入された時には南北戦争も終わっており不要に。それを幕府が購入し、この年の4月に横浜に入港しました。幕府はこの時すでに大政奉還を終え瓦解しています。軍艦が旧幕府・新政府のいずれの手に渡るかは戊辰戦争の戦況に大きな影響を及ぼす重大問題でした。

各国の公使はこの時、どちらにも味方しない「局外中立」の立場をとっており、結局、最強軍艦は引き渡しが凍結され、塩漬けにされます。

東北、北越の各藩には、皇族の輪王寺宮能久(りんのうじのみやよしひさ)親王を「東武皇帝」に見立てた「北部連邦政府」の構想もありました。当時のアメリカ公使は奥州での戦いを「日本版南北戦争」と位置付けています。戊辰戦争と南北戦争は何かと縁があるようです。

兵器輸入では、外国の武器商人も暗躍します。この年5月、プロイセン出身のヘンリー・スネルが会津若松に屋敷を持ち「平松武兵衛」を名乗ります。会津藩の軍事顧問。縮れた髪を後ろに束ねて月代(さかやき)をそり、羽織袴(はかま)。腰に大小、ピストルもぶら下げていました。碧眼(へきがん)の武士は実戦にも参加しています。

戊辰戦争後の明治2(1869)年、スネルは旧会津藩を中心とした日本人を連れ渡米。アメリカのカリフォルニアに「アズ(会津)ランチ(牧場)」をつくりますが、事業は失敗し、日本人を残してふっつりと失踪しました。

武器商人も軍艦同様、激動する時代の中で流転しました。

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