萌え断女子が殺到するフルーツサンドの秘密

フルーツを使った商品は進化し続けている

ケータリング先はアパレル企業のレセプションから個人のホームパーティまで幅広く、昨年の実績は172件にも及ぶ。インスタで#フタバフルーツと検索すると、フルーツを使ったカラフルなフルーツプレートやタワーなどが出てくる。

フタバフルーツに目を付けたのは、日と々とだけではない。「ワイアードカフェ」などを手掛けるカフェ・カンパニーも、銀座プレイス内に「ラモ フルータス カフェ」をオープンするのにあたり、フタバフルーツにフルーツの提供を求めた。ここで手を組んだ両社は、今年2月1日に、「フタバフルーツパーラー」をアトレ川崎店に開店。今後店舗を増やしていく計画だ。ここでも、主役の1つは、フルーツサンドである。

「遊び中心」の3代目を変えた一言

なぜ、町の果物屋が、さまざまな事業を手がけるようになったのか。それは、フタバフルーツ3代目社長の成瀬大輔氏の経歴と、果物市場の変化が関係している。

フタバフルーツパーラーでは、フルーツサンドのほか、パンケーキやケーキなども。パンケーキはグルテンフリー、さらにすべてビーガン対応できる(撮影:今井康一)

そもそも、成瀬氏は果物屋の3代目としては、かなりユニークな経歴の持ち主である。

1970年生まれ、47歳の成瀬氏が一般企業勤めを経て、家業を継いだのは1993年。きっかけは、趣味のサーフィンやスノーボードを楽しむため、長い休暇を取りやすいと考えたことだ。売り上げは右肩下がりだったが、遊び中心なまま30代半ばになった頃、遊び仲間の先輩から「これからどうするんだ」と問われた。

フタバフルーツパーラーの店頭に並ぶ、さまざまなフルーツを使ったパフェ(撮影:今井康一)

「家賃も払わなくていいし、適当にやればいい」と答えたところ「お前は肝心なことをわかっていない。おじいちゃん、お父さんがつくってくれた果物屋の歴史はお金では買えない。ちゃんと向き合って男らしく幕の閉じ方を考えろ」と説教された。

先輩の言葉を素直に受け止め反省した成瀬氏は、2006年には新宿・歌舞伎町のクラブで、切る前のフルーツや流木などでオブジェを作り、カットしたフルーツをふんだんに食べられる初のライブイベントを開催。会場には500人が詰めかけた。「音楽があるとみんな高揚して、フルーツを囲んで会話をしている。フルーツをもっと大胆に見せて、食べさせたい」と本気になった。

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