川崎F・中村憲剛「黄金の1年」といえる転換点 Jリーグの歴史を動かしてきた「心の声」とは
「空気は薄いし、乾燥していて口がパサパサになるし、グラウンドもボコボコ」というアウェイの洗礼を受けた川崎は、0−0で試合を終える。
「勝つチャンスはあったけど、アウェイだし、0−0は上出来なんじゃないかって思っていたんです、この時点では」
ACL初体験だった憲剛とチームメイトがホーム&アウェイの難しさを思い知るのは1週間後、ホームゲームがキックオフされた直後のことだった。
「合計スコアが並べばアウェイゴールが多い方の勝利。ということは、先制されたら2点取らないといけないわけで、急にプレッシャーに襲われて……」
カウンター狙いで守りを固めるセパハンを川崎は攻めあぐね、時間ばかりが過ぎていく。
ジュニーニョや鄭大世がドリブル突破で打開しようとするが、セパハンの堅い守りをこじ開けられない。密着マークを受けていた憲剛も5本のシュートを放って奮闘したが、身体には限界が訪れていた。
実は憲剛は、セパハンとの第1戦の1週間前に日本代表のオーストリア遠征から帰国したばかりだった。わずか1週間でオーストリア→日本→イラン→日本とフライトを繰り返し、移動距離は赤道1周分の9割に達していたのだ。
0−0のまま突入した延長前半に足が攣った憲剛は95分にピッチから退き、PK戦の末にチームが敗れる様子をベンチの前で見届けることになる。
「第1戦でも足が攣って途中交代しているんです。今思えば情けないけど、当時の自分には限界だった。ただ、これを経験したから、その後どんな過密日程にも対応できるようになったと思う」
そう振り返ると、「だんだん思い出してきた! 悔しいな、これ、絶対に勝てたよ」と、あらためて悔しさを覗かせた。
ナビスコカップのタイトルも逃した2007年
ACL制覇の夢がベスト8で潰えた川崎は、2000年以来の決勝進出となったナビスコカップに照準を切り替えた。11月3日、国立競技場で行われたガンバ大阪との決勝は、どちらに転がってもおかしくない展開だった。
「ガンバはヤットさん、フタ(二川孝広)、ハシさん(橋本英郎)、ミョウさん(明神智和)と、サッカーをわかっている人たちばかりで、戦っていてとにかく楽しかった記憶がある」
前半にジュニーニョと寺田周平が迎えた決定機をモノにしていれば、川崎が勝っていたに違いない。だが55分、一瞬の隙が命取りになる。安田理大に決められ、これが決勝点となった。
「ガンバはこれが2個目のタイトルですよね。あれから9年、うちはいまだにノンタイトルだから、ずいぶん差がついてしまったな……。覚悟が足りなかったのか、なんなのか……」
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