川崎F・中村憲剛「黄金の1年」といえる転換点

Jリーグの歴史を動かしてきた「心の声」とは

「代表に選ばれるようになって、知らない記者からコメントを求められるようになった。どこに何を書かれるのかわからないから、ちょっと怖かった。そういう意味では、メディアとの向き合い方を覚えたのも、この年でしたね」

07年3月にはヨーロッパでプレーする選手たちが日本代表に合流する。最初に呼ばれたのは中村俊輔と高原直泰だった。前年に代表デビューを果たしたばかりの憲剛にとって、俊輔も高原もテレビでしか見たことがない選手だったから、同じチームでプレーするのが不思議な感覚だったという。

「3月のペルー戦の時、ホテルで俊さんと初めて会ったんです。そうしたら『フロンターレの試合、見てるよ』って言われて、すごく嬉しかったなあ」

ボランチとしてサポートする任務を託された憲剛

新体制発足から1年が経った7月には、日本代表はベトナムへと乗り込んだ。アジア王者を決める大会、アジアカップに出場するためである。チーム作りの進捗状況を測る場となるこの大会で、オシムは俊輔を右MFに、遠藤保仁を左MFに配置する。ボランチとして彼らをサポートする任務を託されたのは、憲剛だった。

「震えましたよ、正直。2人を生かすも殺すも自分次第。だから、考えていたのは、俊さん、ヤットさんをいかに気持ち良くプレーさせられるかっていうことだった」

気温は30度を優に超え、風がなく蒸し風呂のようなハノイで、オシムジャパンは2勝1分でグループステージを突破し、大会3連覇に向けて突き進む。憲剛もパートナーの鈴木啓太の支援を受けながら、俊輔と遠藤が欲しいタイミングでボールを供給し続けた。

「でも、俊さん、ヤットさんと膝を突き合わせて話した記憶がないんです。ピッチでちょっと話すだけでわかり合えた。だから『日本代表ってやっぱり凄いな』と思った。上手くてサッカーIQの高い選手たちの集合体――それが日本代表なんだなって」

準々決勝でオーストラリアを退けた日本は、しかし、サウジアラビアとの準決勝に2-3で敗れると、韓国との3位決定戦でも0−0のままもつれ込んだPK戦で屈してしまう。3連覇を逃した責任と悔しさを感じながら、憲剛はこの時点で日本代表の未来をこんなふうに見据えていたという。

「暑さと湿度が凄まじくて、みんな疲弊しているのに、オシムさんはスタメンを固定し、練習量も落とさなかった。だから、もちろん優勝を狙っていたんだけど、一方でチーム作りの一貫という考えもあったと思う。アジアカップで築かれたベースを元に、この先チームがどう変わっていくのか楽しみだった」

アジアカップの閉幕から2カ月後、ACL初参戦ながらグループステージを突破した川崎は、イランのセパハンとの準々決勝を迎えた。

9月19日の初戦は敵地でのゲームである。1600メートルの高地にあるイスファハンはトレーニングをするだけで息苦しさを覚えるほどだった。

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