第1次世界大戦も「マネーの戦い」だった 巨額の戦費をどのようにして賄ったのか?
1914年7月に第1次世界大戦が勃発。戦争は当初の予想を超えて長期化し、大量殺戮兵器の出現によって一般市民もまきこまれ、未曾有の犠牲と被害がもたらされた。
戦争の勃発とともに、ドイツ、フランス、イギリス、オーストリアなどの参戦国は、金本位制から離脱した。
1918年11月、ドイツとオーストリア・ハンガリーが敗れ、大戦は終結した。
この大戦は、日本から離れたヨーロッパ大陸を戦場として行われたため、日本人の感覚では、必ずしも歴史上の大事件としては捉えられていない。
しかし、ヨーロッパの人々から見れば、ある意味では第2次世界大戦よりも大きな事件だった。なぜなら、この大戦によって、それまでの世界秩序が決定的に破壊されたからだ。ドイツでは、すべての王侯貴族が追放された。オーストリアでは、600年以上にわたって君臨してきたハプスブルク家が追放された。
4年3カ月にわたった戦争の戦費も巨額だった。富田俊基『国債の歴史』(東洋経済新報社)によれば、ドイツは戦前の予算の50年分、イギリスは38年分、フランスは27年分、ロシアは18年分を費やした。ピーク時軍事費のGNPに対する比率は、ドイツが53%、イギリスが38%、アメリカが13%だった。
では、各国は巨額の戦費をどのようにして賄ったのか?
戦費を賄う方法は、基本的にはつぎの3つだ。
第1は増税。ただし、アメリカ以外の国では、この方法はほとんど用いられなかった。アメリカでは、戦費の30%が税収で賄われた。
第2は外国からの借り入れ。連合国側では、当初はイギリスが、続いてアメリカが、参戦国に資金を貸し付けた。同盟国側ではドイツが貸し付けた。
第3は国債の国内消化だ。ただし、貯蓄によって消化するにはあまりに巨額だったので、大部分は中央銀行が紙幣を発行することによって引き受けた。各国が金本位制を停止したのは、こうした資金調達を行なうためだ。
ドイツは紙幣増発を進める
それまでの大戦争と同じように、第1次大戦も経済力の戦いになった。とりわけ、マネーの戦いだった。ナポレオン戦争がイギリスとフランスの戦費調達力の戦いであったのに対して、第1次大戦は主としてアメリカとドイツの戦いであった。この両国は、イギリスに続いて工業化に成功し、勃興しつつあった新興工業国だ。鉄道、鉄鋼業、造船産業、化学産業などにおいて、世界の最先端にあった。また、自動車産業や石油産業も勃興しつつあった。