「日本の伝統」の多くは明治以降の発明だった その伝統、本当に古くからあるのか?
新しい伝統は他にもいろいろなところに存在する。いかにも日本っぽい野菜の白菜は1875年に中国から伝わったものだし、パッと咲いてパッと散るさまが日本の美意識を表しているとされる桜・ソメイヨシノは明治生まれ。なにかと話題となる日本の国技・相撲は、興行としては400年ほどの歴史はあるものの、「国技」と呼ばれだしたのは1909年の国技館誕生からである(ちなみに、日本には法令で国技と定められた競技はない)。
さまざまな思惑が伝統を形作ってきた
こうして見てくると、日本の伝統とされるものは、明治以降の発明である場合が多い。100年近く続いていれば伝統と呼んでもいいんじゃ、という向きもいるだろう。断っておくと、本書はべつに伝統そのものを否定しているわけではない。著者はこう述べる。
“「伝統があって、人間がある」のではなく、「人間があって、伝統がある」。”
伝統だから大切にするのはわかるが、伝統だから従わなければならないなんてことはない。重要なのは、言葉のマジックの認識だ。権威付けやらビジネスやら、様々な思惑が伝統を形作ってきたのもまた事実なのである。
たくさんのメディアに囲まれているこのご時世、疑問を持ったり、フェイクか否か選別したりするのは難しいし体力がいる。が、由来や歴史を調べるのは、人間のおかしみを感じられて、存外面白いものだ。本書はその端緒となる火を灯す1冊なのは間違いない。なお、ちょっと厳めしいタイトルと装幀だが、文章はエッセイ風味の優しいノリなのでご安心を。
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