ロヒンギャが直面する想像以上に深刻な対立 ヒンドゥー教徒・仏教徒も命の危険に怯える
「当時、イスラムの暴徒にはロヒンギャも混ざっていました。彼らは難民キャンプからやって来た。ロヒンギャはとても好戦的で、再び大量流入している現状を私たちはとても心配しています」(シマビハール寺院のシラピリャ僧侶)
そう言われたロヒンギャ難民にしても、なにも望んでバングラデシュにやって来たわけではない。彼らだってできることなら一刻も早く故郷に戻りたいのである。しかし、迫害が続くミャンマーへの帰還を巡っては、難民の間でも揺れる気持ちがあるようだ。
難民キャンプで生まれた子の未来は
バングラデシュ最大の難民収容所、クトゥパロン・キャンプでの礼拝後、モスクから足早に自宅へと向かうロヒンギャの男の姿があった。彼、ノルさんにはその朝、ひとりの男の子が生まれた。身重のまま国境の川を越えた妻コリーさんが、出産を終えたのだ。キャンプでは、コリーさんが近所の人たちに祝福されながら、ようやく目が開きかけた赤子を抱いて待っていた。
「幸せです。この子のためにもう危険なミャンマーには戻りたくない。イスラム教徒がいるバングラデシュで教育を受けさせたい」
ミャンマーで教師をしていたというノルさん。彼の願いが叶えば、生まれた子にとってはバングラデシュの難民キャンプこそが“故郷”になる。難民として異国のイスラムコミュニティーで育つこの子の未来は、はたしてどんな世界が待っているのだろうか。名前はまだなかった。イマーム(イスラムの指導者)に相談していい名を付けたいと、若い父親は語ってくれた。
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