雲は見上げる存在ではなく「愛でるもの」だ 身近な存在ながらあまり知られていない実態
雲の愛で方は人それぞれですが、何といっても見た目が美しい子や格好良い子が大勢います。夏の空に立ち昇る入道雲、虹色に染まる雲や空、朝や夕方の焼け空など、出会えただけで心躍ります。大気の流れや状態によってその姿を変えるという雲の素直さ、必ず物理法則に則った挙動をするという雲の几帳面さも「愛でポイント」です。本書を読み進めていく中で、みなさんが雲への愛を深め、自分なりの雲の「愛でポイント」を見つけていただければ嬉しく思います。
そもそも雲とは何かというと、「無数の小さな水滴や氷の結晶の集合体が地球上の大気中に浮かんで見えているもの」です。雲が様々な姿をしているのは、雲をなす小さな水滴である雲粒(うんりゅう・くもつぶ)や氷の結晶、氷晶(ひょうしょう)が雲内の大気の流れに乗っているからなのです。雲をなす雲粒と氷晶は総じて雲粒子(くもりゅうし)と呼ばれています。
雲粒子は毎秒1㎝程度の速度で大気中を落下しますが、大気中にはそれを超える上昇流がいたるところに存在しているため、大気中に浮かんでいられます。また、個々の粒子は小さすぎて見えませんが、非常に多くの水滴や氷晶が集まって太陽光のうち私たちが目で見える可視光線を散乱することで、私たちは雲を認識できています。空に浮かぶ雲1つひとつは、膨大な数の粒子たちが作り上げた姿であることを想像すると、胸が熱くなりますね。
「地震雲」はあるのか
世間一般で「地震雲」として騒がれている雲は、全て気象学で説明できる雲です。雲は地震の前兆にはなりません。しかし、それでもなお地震雲という非科学的な考えが世間で度々話題になるのは、雲愛の普及が足りていないからです。何の変哲もない普通の人が、名前を間違えられた挙句に怖がられているのと同じことが起こっているのです。
地震雲なるものはまず定義ですが、地震の前兆として現れる雲とするのであれば、科学に中立な立場からは「地震雲は存在が証明されていない」という説明が正確です。それなら将来的に存在が証明されるかもしれないと思うかもしれませんが、これは幽霊の存在を証明するのと同レベルで限りなく不可能に近い問題です。
地震雲の説明として地下深くの状態の変化に伴って大気中に電磁波が放出されて雲ができるといわれているようですが、このプロセスはよくわかっていません。仮に深い地中からの電磁波が雲に何らかの影響を与えていたとしても、少なくとも世間一般で地震雲と呼ばれることの多い雲はすでに力学的・雲物理学的に説明できるため、その影響を私たちが目で見て雲の形などから判断することは不可能です。
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