意外と知らない「宮崎駿作品」の読み解き方 ヒューマニストだというのは誤解?

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皆さんは、ジブリとか宮崎駿と聞くと、どういうイメージをもつでしょうか?

安心してみられるファミリー映画? エコロジーのすばらしさを説くヒューマニスト?

2016年11月13日に放映されたNHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」ではIT企業の人たちが、人工知能技術を活用した少し気持ち悪い動きをするCG生物を、宮崎監督に対してプレゼンしました。それを観た宮崎駿は、「生命に対する侮辱を感じる」と怒り出しました。その番組を見た視聴者は、「ああ、やっぱり宮崎駿はヒューマニストなんだ」と感心したかもしれませんが、筆者の見方はちょっと違います。

人工知能によるCGを観て、宮崎駿は大きな衝撃を受けた。宮崎駿という機械の内部では歯車が回りだし、その衝撃を「何か」に変換しようとしている。

宮崎駿は不快さとともに「何か」を感じたわけですが、その「何か」は本人にもまだわからなくて、言語化できていない。あの説教は、機械が稼働していることを示す「作動音」のようなもので、その内容を額面どおりに受け取って解釈しようとしても、あまり意味はないと僕は思います。

なぜか。たとえば、かつてiPadについて、「そのゲーム機のようなものと、妙な手つきでさすっている仕草は気色悪いだけで、ぼくには何の感心も感動もありません。嫌悪感ならあります」(スタジオジブリ発行のフリーマガジン『熱風』7号)と言っていたのに、NHKスペシャルの中では楽しそうにタブレットを使って作画していたりするのですから!

では、宮崎駿とはいったい何者で、どんなことを考えているのでしょうか?

『風の谷のナウシカ』は何を描いたのか

1984年公開の映画『風の谷のナウシカ』(映画制作時の会社はトップクラフト)は、地上波のテレビでも頻繁に放映される人気作品ですからご覧になった方も多いでしょう。映画のラストシーンに感動した人も多いと思いますが、宮崎駿本人は、いまだにあのような終わり方にしていることを後悔しているそうです。

映画に先行して、宮崎駿は原作コミック版『風の谷のナウシカ』を『アニメージュ』に連載しており、映画版はコミック版の2巻くらいまでのストーリーをベースに制作されました。

産業文明が崩壊した未来の地球では、高度な技術は失われ、猛毒の菌類がはびこる「腐海」が地表を覆っている。人類はほそぼそと生きているわけですが、主人公のナウシカは腐海という仕組みが地球を再生させようとしていることを知り、それをみんなに伝えようとする……というのが劇場版ですが、コミック版ではずいぶん違う方向へと進んでいきます。

劇場版の公開後、原作版の連載が再開されますが、憎しみ、差別、戦争の連鎖が続きます。面白いのですが、読んでいてとてもつらくなります。

1985年になると、宮崎駿は『ナウシカ』の連載をまた中断して、『天空の城ラピュタ』を作りはじめました。

血湧き肉躍るエンターテインメントを目指した『ラピュタ』は、地上波で放映されるたびにツイッターで「バルス」と唱えられる大人気作品ですが、公開当時はあまりヒットしませんでした。1988年の『となりのトトロ』も、興行成績はそれほどでもありません。宮崎駿が感性のままに作品を作っていた時期のスタジオジブリは案外、ヒット作品を出していないんですね。

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